厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2009年3月を表示

群馬郡佐野村第52号大山古墳

群馬郡佐野村第52号大山古墳
現在の高崎市下佐野町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ198尺(約59.9m)、高さ23尺(約6.9m)とある



高崎市史の編纂をする際、高崎市が墳丘の現況測量図を作成したところ、直径約56m、高さ約8mであったとのこと
この数字は円墳としては非常に大きく、古墳めぐりハンドブックでは「県下最大の円墳であろう」と述べられている
墳丘自体は二段で構築されていたようだ



綜覧では「湟阯有」とのことであるが、市史では「現在の周囲の地割りには周堀の痕跡らしいものは認められないが(中略)かつては地割りにその痕跡を残していたのかもしれない」とある
古墳めぐりハンドブックには「かつての周濠部分が、周りの水田としてよく残る」とあるが、書かれた内容が古いような・・・



南西より見る
市史にある「南西部分破壊」の箇所である



さて、忘れてはならないのが、本古墳に隣接していた綜覧群馬郡佐野村第53号茶臼山(鏡餅山)古墳の存在
本古墳とほぼ同規模の円墳で、両古墳が並ぶ姿はさぞや壮観であったと思われる
しかし、茶臼山古墳は市史で「直径57mの見事な墳丘を残すものであったが、土地改良工事の中で調査されることなく平夷される無惨な結果を迎えた」と書かれるほど、その消滅が惜しまれている



2009年3月11日(水)22:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市下佐野町稲荷塚1012所在古墳

高崎市下佐野町稲荷塚1012所在古墳
高崎市下佐野町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



高崎市史によれば規模不明高さ不明で削平扱いとなっているが、現在でもわずかに比高が認められる状態である


見る限り、規模不明ではあるものの、径は10m前後はありそうな感じ


昭和34(1959)年に群馬大学で調査、下佐野5号墳とも呼ばれている


ところで、近所の人に聞いたところ「浅間山の火山灰を集めたもので、古墳ではない」という話を聞いた
市史には確かにそうした「調査したら、古墳じゃありませんでした」という話も載っているが、それは本古墳ではなく下佐野7号墳(綜覧群馬郡佐野村第63号)が該当するようだ



2009年3月10日(火)21:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡佐野村第45号妙音子山古墳

群馬郡佐野村第45号妙音子山古墳
現在の高崎市下佐野町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ66尺(約19.9m)、高さ12尺(約3.6m)とある



高崎市史によれば墳丘は半壊、規模もいくらか小さくなっているようだ


墳丘は藪に覆われ、見通すことが難しいが、こちら側からだと何とかかたちが見える


市史では「裏込め状の小円礫散見」とあるが、藪に阻まれて確認することができなかった


2009年3月9日(月)21:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡佐野村第32号古墳

群馬郡佐野村第32号古墳
現在の高崎市下佐野町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ20尺(約6.1m)、高さ6尺(約1.8m)とある



定家神社の鳥居脇に現存しているが、こちらから見る限り、墳丘半壊であるようには見えないのだが・・・


実際には、上越新幹線高架下の側道で墳丘を半分削り取られ、こんな姿となってしまっている
右奥には佐野村第30号古墳も見える



高崎市史によれば、昭和54~55(1979~80)年にこの消失部分の発掘調査が行われ、その際の測量では東西約15m、南北約10m、高さ1.2mと記録されている
そして墳丘は、このT字路いっぱいに広がっていたようだ



墳頂部
実測図を見る限り、このくぼんだ箇所が横穴式石室の部分にあたるようだ
市史には「石室は破壊が進んでおり、奥壁、側壁の根石まで取り去られていた」とある
鉄鏃、金銅製耳環、土師器、須恵器が出土しているが、周堀は確認されていない



2009年3月8日(日)21:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡佐野村第30号古墳

群馬郡佐野村第30号古墳
現在の高崎市下佐野町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ70尺(約21.2m)、高さ11尺(約3.3m)とある



定家神社の境内に位置しているが、墳丘周辺は杉の木に覆われている


とはいえ、墳丘はしっかり見渡すことができる


北西より見る


墳頂部には石祠が載っている
高崎市史には「角閃石安山岩と思われる石材あり」とあるが、見つからなかった



2009年3月7日(土)22:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡佐野村第28号古墳・群馬郡佐野村第37号古墳

群馬郡佐野村第28号古墳
現在の高崎市下佐野町にある円墳で、上毛古墳綜覧では径25尺(約7.6m)、高さ12尺(約3.6m)とある



漆山古墳のすぐ南西に位置している
墳丘上は植栽と石碑でだいぶいじられている印象がある



群馬郡佐野村第37号古墳
現在の高崎市下佐野町にある円墳で、綜覧では東西の大きさ72尺(約21.8m)、南北の大きさ54尺(約16.4m)、高さ7尺(約2.1m)とある



墳丘上は墓地化されており、南側の裾部は数年前に改変されたようだ


北西より見る
高崎市史には角閃石安山岩の削石の存在が記されているが、確認はできなかった



2009年3月6日(金)20:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡佐野村第27号漆山古墳その2

石室内部


高崎市史によれば周堀の痕跡がなく、石室の床面が地表と同じ高さにあるとのことで、この画像の位置も基壇部である可能性も考えられるようだ


墳丘上には葺石も見受けられる
前方部を失ってはいるが、後円部は非常に良く残っている



2009年3月5日(木)21:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡佐野村第27号漆山古墳その1

群馬郡佐野村第27号漆山古墳
現在の高崎市下佐野町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では全長204尺(約61.8m)、前方部の高さ20尺(約6.1m)、後円部の高さ25尺(約7.6m)とある



かつては前方部も現存していたのだが、昭和60(1985)年に宅地化のため削平され、現状は円墳のように見える


所有者に許可をいただき見学
前方部は、画像の右奥に向かって伸びていた
画像中央下付近に巨石が転がっており、どうやら前庭部の崩壊した部分の石のようだ



石室入口
柵があったので内部への立ち入りは遠慮したが、所有者の方は「入ればいいのに」と気さくな様子だった



2009年3月4日(水)21:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡佐野村第5号天道山古墳その2

墳頂部
所有者の話では、先代の方が長い棒を墳丘上から差し込んだところ、ある程度行ったところで硬いものに当たる感触があったとのこと
その当たったものが石槨だろうという話であった



敷地内から見ると、生け垣の先は大きく削られているのが分かる


墳丘南西側は裾部が石垣化されているが、所有者の話では葺石も多く混じっているとのこと


左上の大きな石が石室材のようで気になるのだが、石室が開口していたかどうかは分からないとのことであった


2009年3月3日(火)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡佐野村第5号天道山古墳その1

群馬郡佐野村第5号天道山古墳
現在の高崎市佐野窪町にある円墳で、上毛古墳綜覧では径80尺(約24.2m)、高さ13尺(約3.9m)とある



円墳ではあるが、高崎市史にも「北東部のみ残存」とあるように、墳丘は大きく削り取られてしまっている


南より見る
墳丘自体は生け垣の西側へつながっており、そちらのほうが比高も高く残っている



所有者に許可をいただき、西より見る


2009年3月2日(月)23:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理


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