厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



伊勢崎市

佐波郡東村第8号古墳その1

佐波郡東村第8号古墳
現在の伊勢崎市東小保方町にある帆立貝形古墳で、上毛古墳綜覧では大きさ120尺(約36.4m)、高さ12尺(約3.6m)とある



北から見る
一見、円墳のようだが、基壇部には造り出しが設けられており、帆立貝形古墳である



北東より見る
現在、鶴巻古墳と呼ばれており、墳丘もきれいに復元されている



説明看板
復元に際しての発掘調査を行う前に設置されたものなので、円墳と書かれていたり情報がちょっと古いのが残念なところ



復元後の墳丘至近に設置された説明タイルでは、帆立貝形古墳となっている
こうした情報は、きちんと統一してほしいところ



2008年12月28日(日)22:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡殖蓮村第71号古墳その3

北より見る
現在の墳丘を見ていると、旧佐波郡東村(現伊勢崎市)の鶴巻古墳の復元のしかたによく似ているような・・・



後円部より見る前方部
川に浸食される古墳という構造がよく分かる



前方部より見る後円部


2008年12月27日(土)22:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡殖蓮村第71号古墳その2

覆い屋根正面
柵が設けられ、石室自体に入ることはできない



柵の隙間にレンズを突っ込んで撮影


石室の説明看板


南より見る
墳丘を保護するために、歩道にスロープを設けたようだ



2008年12月26日(金)21:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡殖蓮村第71号古墳その1

佐波郡殖蓮村第71号古墳
現在の伊勢崎市本関町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では墳形不詳、大きさ不詳、高さ10尺(約3m)とある



北東より見る
現在、墳丘は復元されており、一ノ関古墳と名付けられたうえで、古墳周辺が史跡公園として整備されている



説明看板


南西より見る
こちら側から見ると、川の浸食で前方部の先端部を失ったというのがよく分かる



後円部南側では、石室の入口が大げさな覆い屋根でカバーされている


2008年12月25日(木)21:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡殖蓮村第17号マルヅカ山古墳その2

東から見る造り出し部
その向こうには、浅間山が雲をかぶっている



見下ろしてみると、けっこういい状態で残っていることが分かる


西から見る造り出し部


この段の付きかたは、美しいなぁと思う


ところで、墳丘上に見えるこの巨石は何なのだろう?


2008年12月24日(水)20:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡殖蓮村第17号マルヅカ山古墳その1

佐波郡殖蓮村第17号マルヅカ山古墳
現在の伊勢崎市三和町にある帆立貝形古墳で、上毛古墳綜覧では全長396尺(約119.9m)、前幅86尺(約26.1m)、後径198尺(約59.9m)、後円部の高さ27尺(約8.2m)とある



説明看板
ここで触れられている緑泥片岩製の石棺が、本古墳で最初に見つかった石棺で、群馬では非常に珍しい材質を使用しており、毛野時報通巻8号(昭和11年1月刊)によれば大正年間に「夜影に乗じて発掘しこの石棺を発見」、「警察当局立会ひの下に石棺を開いたところ、以前に盗掘に遇つた為め棺内には何等遺物なく封土が充満してあつた」とのこと



南より見る
墳丘の南にある造り出し部から画像手前にかけてのあたりには、江戸期の神社の礎石らしい物があったと、毛野時報では記している
墳丘南側に墓地があるのは、その神社と寺があった名残であるらしい



東より見る
造り出し部が南側に延びているのが見える



北東より見る


2008年12月23日(火)22:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市三軒屋遺跡第14次調査6区

6区の大溝の断面
黒い部分は天仁元(1108)年の浅間山噴火の際の堆積物



正倉の角が出たということであるが、見た感じはっきりとは分からなかった


その北側
こちらも、いちおう説明は受けたが状況がなかなか掴めなかった



2008年12月7日(日)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市三軒屋遺跡第14次調査5区

伊勢崎市三軒屋遺跡
伊勢崎市上植木本町にある遺跡で、律令~平安期の上野国佐位郡の郡衙跡とされている
今回、第14次調査の現地説明会が行われ、5区と6区の見学をしてきた



5区大型土坑
どういったものかは不明ながらも、郡衙の建物を建てる際の土取りの穴の可能性もあるとのこと



大型土坑の西側
シートがかけられ、状況の確認は出来なかった



5区礎石建物跡
ここはまだ掘り始めてはいないが、土の色の違いがはっきりと見てとれる



奥の方は、ブロック塀の向こうに続いていると推測されるが、民家敷地内にあたるため調査できないとのこと


2008年12月6日(土)21:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市峯岸山古墳群26号古墳

伊勢崎市峯岸山古墳群26号古墳
伊勢崎市磯町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



磯沼という沼の堤防と一体化しており、見る角度によっては古墳と気付きにくい
昭和10年の県下一斉調査で看過されたのも、そのせいだろうか



そういえば、裾部もだいぶ改変されており、円墳としての面影もあまり感じられない


こちら側からだと、古墳だとはっきり認識できるのだが


2008年10月11日(土)22:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市峯岸山古墳群6号古墳

伊勢崎市峯岸山古墳群6号
伊勢崎市磯町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



墳丘はだいぶ削り取られ、わずかにマウンドが残る程度


発掘を担当した佐波郡赤堀村教育委員会の調査によれば、主体部は横穴式石室であるらしい
そのほかにもいろいろと出土したということである



北西より見る
ここからだと、一番墳丘の残りがよく見えるようだ



2008年10月10日(金)21:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理


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