厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



伊勢崎市

佐波郡茂呂村第22号古墳その2

社殿の裏に回り込んでみる


本殿の載る部分が墳丘の一部ということか


道路が墳丘をよけるように湾曲しているのが分かる


比高自体は少しは感じられる
写真に撮るとその感覚が薄れがちだけど・・・



2009年5月29日(金)21:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡茂呂村第22号古墳その1

佐波郡茂呂村第22号古墳
現在の伊勢崎市南千木町にある円墳で、上毛古墳綜覧では規模不詳とある



千本木神社の社殿裏に墳丘が残る
この周辺にはいくつかの古墳が集まって群をなしているが、群馬県遺跡台帳では「古墳の主体部は1つを残して他はほとんど破壊されている」とある



ところで、千本木神社には上杉謙信が立ち寄ったという伝承があるらしい


2009年5月28日(木)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市大道西遺跡その5

道路と川が交差する場所に埋まっていた木材
木造橋の構造材である可能性が高いが、何の木からできているのか、今後の調査を進めていくとのこと



別アングル


橋を渡った先の道路


道路はそのまま西へまっすぐ、上野国佐位郡衙の跡である三軒屋遺跡へつながっている


反対側から見る
道路の両脇にある側溝は残念ながら当時の遺構ではなく、近・現代のもの



2009年2月5日(木)21:35 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市大道西遺跡その4

道路と川の交差する辺り


道路の表面には護岸の杭が刺さっているが、当時の遺構ではないようだ


その先には厚い層があった


接近してみると、こんな感じ


そして、メインの交差部分


2009年2月4日(水)21:45 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市大道西遺跡その3

川の遺構の土の層


律令時代の道路の断面


版築工法で造られている


しかし、平安時代になると道路の一部は崩壊してしまったようだ


そしてその上には浅間山の噴出物が覆い被さっている


2009年2月3日(火)22:28 | コメント(1) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市大道西遺跡その2

発掘された川の遺構
本遺跡とJR両毛線の間を流れる男井戸川(おいどがわ)という小さな川の前身と見られている



反対側から見る
掘れば水がしみ出てくる湿地帯であり、さらに雨上がり直後のため、遺構には水がたまり、本当に川として復活したような感覚になる
その向こうには赤城山が見えている。本遺跡から北へ約500mの地点には恵下古墳群があり、古くから開墾されてきた土地でもある



水路の跡
中央下、土中に埋まっているのは、例の暗渠水路の土管



反対側から見る


雨のおかげで、畑の畝がはっきり見てとれる
本遺跡では川の遺構を境界として、東側が畑、西側が田というかたちで耕作地がしっかり区分されていたようだ



2009年2月2日(月)21:51 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市大道西遺跡その1

伊勢崎市大道西遺跡
伊勢崎市豊城町にある律令・平安時代の遺跡である
午前中を大雨と強風に見舞われた日、雨上がりの現地説明会を見学してきた



平安時代の田の跡
天仁元(1108)年の浅間山大噴火の際に埋まってしまったものの、降り積もった火山灰の上から畦の跡が見えている
その中を真横に抜けるいくつかの溝は、近・現代の排水用暗渠水路の跡



西より見る
たまった水が南北に細長く延びているのは、当時の水を引き入れる水路の跡



そこからさらに南側、同じく西より見る


その背面にも、しっかりと畦が浮き出ていた


2009年2月1日(日)22:01 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡東村第51号古墳

佐波郡東村第51号古墳
現在の伊勢崎市国定町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ70尺(約21.2m)、高さ13尺(約3.9m)とある



墓地の中にぽつんと残る古墳だが、この状況でよく墳丘を墓地化されなかったものだと思う


群馬県文化財情報システムにしっかり載ってはいるものの、現地には説明看板も何もなく、忘れられた古墳といった趣がある


そんな本古墳の向こうを、夕月が昇る


2008年12月31日(水)15:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡東村第8号古墳その3

改めて石室入口周辺をワイドで見る
後ろの高圧鉄塔が景観的にちょっと残念なところ



とはいえ、赤城山もよく見える立地
群馬南部のいわゆる「中毛」地域の古墳を見ていると、赤城山に抱かれた土地というのがよく分かり、また信仰の対象となるのも当然の流れだなぁと実感する



墳丘上に設けられた階段
やはり一ノ関古墳史跡公園のものによく似ている



後円部より見る造り出し部
真ん中にあるのは、例の階段



上から見る前庭部
復元古墳なので、本来どういう構造だったのかがよく分かる



2008年12月30日(火)22:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡東村第8号古墳その2

石室入口


石室の説明タイル


石室内部


羨道部右壁


羨道部左壁


2008年12月29日(月)22:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理


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