厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



太田市

新田郡九合村第21号古墳跡

新田郡九合村第21号古墳跡
現在の太田市新井町にあった円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ76尺(約23m)、高さ9尺(約2.7m)とある



群馬県遺跡台帳では「新井八幡社境内に在り、円墳で比較的よく原形をとどめる。市道拡張で墳丘の半分を削られる予定」とあるが、地元の郷土史家によると、現在は完全に消滅してしまっているとのこと


社殿の隣には、浅間祠を祀った塚状の盛り土があるが、これは古墳とは全く関係ないものであるらしい


かつてはこちらにもお社が建っていたのであろうか、周辺には瓦の破片が大量に散らばっていた


ちなみに、ここ新井八幡宮の獅子舞は、太田市指定の重要無形民俗文化財となっている


2011年2月8日(火)21:52 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡九合村第20号御庵稲荷古墳

新田郡九合村第20号御庵稲荷古墳
現在の太田市新井町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ96尺(約29.1m)、高さ8尺(約2.4m)とある



個人宅の敷地内にあり、墳丘上には稲荷社が祀られている
天に向かって高くそびえる大木が、歴史を語っているようで印象的であった



敷地内での撮影及び墳丘への立ち入りは、所有者の方に断られたため叶わなかった
綜覧では所在地名の小字は「御庵」となっているが、群馬県遺跡台帳では「五庵」と記されている



2011年2月4日(金)20:37 | コメント(0) | 太田市 | 管理

太田市天神山古墳B号陪塚

太田市天神山古墳B号陪塚
太田市新島町にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



現状は「15×8m、高さ70cmの矩形」であると、太田市教育委員会発行の各種報告書に記されている


平成8(1996)年から翌年にかけて、本古墳の南側で発掘調査がなされているが、掘り下げたところ「砂層が2m以上の厚さで堆積して」おり「B陪塚周堀は全く存在しなかった」とのことで、「B陪塚と想定されていた高まりも河川の氾濫後に構築されたものである可能性」があるとのこと


その「河川の氾濫」がいつのことなのかははっきりしておらず、「河道及びそれに伴う氾濫による砂層の堆積が古墳時代以前のものであったと仮定した場合」も想定されるため、本古墳が古墳でない可能性はまだ確定したわけではない
そういえば訪問時、墳丘脇にはこんなものが転がっていた



2011年2月1日(火)21:56 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡九合村第67号古墳

新田郡九合村第67号古墳
現在の太田市内ヶ島町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ73尺(約22.1m)、高さ10尺(約3m)とある



群馬県遺跡台帳では「径約20m、方墳の如き感もうける」とあり、1984(昭和59)年発行の「史跡天神山古墳・女体山古墳 保存管理計画書」で太田市は「天神山古墳外堀部に向って墳丘裾部は、ふくらみをもっているので、本墳も帆立貝形古墳と考えられるが、現状では明確ではない」とあいまいに述べていた


このように、方墳や帆立貝形古墳の可能性も考えられていたが、1990(平成2)年に発行した範囲確認調査報告書で太田市は陸橋の付いた「径約29m、現地表から3m弱の高さを有する円墳」と結論づけている


このときの調査で確認された周溝は、天神山古墳・女体山古墳の主軸とほぼ同じ向きに陸橋部があり、言うなれば馬蹄形の周溝ということになる


「墳頂部は平坦面が広く、墳丘の断面形は扁平な台形といえる」とあり、いくらか墳頂部は削平されているのかもしれない


2011年1月28日(金)23:59 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡九合村第68号女体山古墳その2

墳頂部


その傍らには小祠もあるが、右側のものは近年になってから崩壊したようだ


北より見る
1984(昭和59)年に太田市教育委員会が発行した「史跡天神山古墳・女体山古墳保存管理計画書」に記された「北東方に土砂が流れてい」る墳丘の様子がよく分かる



周溝は、その跡がよく分かるかたちで現存している


ここも、耕作が行われている


2011年1月25日(火)20:56 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡九合村第68号女体山古墳その1

新田郡九合村第68号女体山古墳
現在の太田市内ヶ島町にある帆立貝形古墳で、上毛古墳綜覧では大きさ320尺(約97m)、高さ21尺(約6.4m)とある



説明看板


造り出し部は、面積的には非常に良く旧状をとどめている


比高はいくらか削平されているようにも見受けられる


墳頂部より見る造り出し部


2011年1月21日(金)20:24 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡九合村第69号男体山古墳その5

そういえば、1993(平成5)年に発行された「古墳を歩く」(学生社刊)では「将来、女体山古墳とあわせて整備し、資料館を備えた史跡公園が建設されることになっている」とあるのだが、その後どうなったのだろう


墳丘裾部にある注意書き
「火わるさ」って、それなりに古い言い方だなぁ・・・



主軸延長線上より見る後円部


黄昏時、藍色の空に墳丘が浮かび上がる


千何百年もの悠久の時に思いをはせたくなる古墳である


2011年1月18日(火)21:25 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡九合村第69号男体山古墳その4

さすがは東国最大の前方後円墳、墳丘全体をきれいに見渡せる場所はあまりない
この位置から見ると、前方部と後円部の比高差がよく分かる



きれいに見ようと思ったら、墳丘南東にある東武鉄道の陸橋に出るしかない
しかし、これも桜の散る頃にはすでにここまで緑が萌え揃ってしまうので、今ぐらいの時期が一番お勧めである



鞍部の南裾には怪しい石が転がっているが、これも落ち葉に埋没してしまいそうだ


これがよく言われる「長持型石棺の破片」だと思われるのだが、何となく石材が違うようにも見える
周辺にはこれ以外の石は顔を見せておらず、本当に石棺材なのか確証は持てない



後円部墳頂部より見る周溝とA号陪塚


2011年1月14日(金)20:47 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡九合村第69号男体山古墳その3

墳丘の外には、周溝が非常に良く残っている


ただ、周溝自体はまだ私有地であるようで、耕作が行われているようだ


墳丘の北端には、周溝を分断するようなかたちで群馬県道2号前橋館林線が走っている
もう少し、歴史に配慮した建設はできなかったのだろうか



周溝の北側は、緩やかなカーブを描いている


一部にくぼんだ箇所があり、雨のあとは水が溜まりやすくなっている


2011年1月11日(火)20:53 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡九合村第69号男体山古墳その2

後円部より見る前方部


前方部より見る後円部


鞍部


その鞍部には、現在の古墳名の元となった天神様が祀られている


後円部墳頂部


2011年1月7日(金)20:38 | コメント(0) | 太田市 | 管理


(3/7ページ)
最初 1 2 >3< 4 5 6 7 最後