厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



太田市

新田郡九合村第69号男体山古墳その1

新田郡九合村第69号男体山古墳
現在の太田市内ヶ島町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ693尺(約209.9m)、前方部の高さ40尺(約12.1m)、後円部の高さ86尺(約26.1m)とある



説明看板


古墳が好きな人には、言わずと知れた東国最大の前方後円墳である
・・・が、どうもそういったことが、あまり一般の人にまでは伝わっていないような感がある



前方部


後円部


2011年1月4日(火)21:08 | コメント(0) | 太田市 | 管理

太田市飯田古墳群

太田市飯田古墳群
太田市飯田町にある古墳群である



・・・が、現存するのは上毛古墳綜覧記載漏れの本古墳のみであるらしい
その本古墳も、雷電神社の社殿裏に半壊状態で現存している



群馬県遺跡台帳にあるとおり、「市道のために北側半分が削りとられ」たというのがよく分かる


裏に回ってみれば、まるで断面図のようなかたちで、墳形がくっきりと浮かび上がっている


墳頂部
台帳には「墳丘上に石棺が祀られる」とあるが、それらしき巨石は見あたらなかった
「石室材」のように見受けられる石であれば、何となく納得できそうなものはあるのだが・・・



2010年12月31日(金)07:44 | コメント(1) | 太田市 | 管理

新田郡強戸村第146号古墳その3

北西より見る
右側が前方部となる



こちら側からだと、前方部が寸断されたのがよく分かる


南西より見る前方部


同じく後円部
群馬県遺跡台帳によれば、本古墳を含んだ成塚古墳群という群が形成されているらしい
本古墳とは別の群になるが、この辺りの地名について「『成るように塚がたくさんあった』ことが『成塚』町の由来であったという考え方もある」と、2008(平成20)年に群馬県埋蔵文化財調査事業団が発行した調査報告書「成塚向山古墳群」は記している



2009年8月13日(木)21:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡強戸村第146号古墳その2

こちらの鳥居の向こうが、後円部


後円部墳頂部より見る前方部


前方部より見る後円部


墳丘の脇に立ってみる
こちらから見る後円部は割とよく残っている印象がある



2009年8月12日(水)21:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡強戸村第146号古墳その1

新田郡強戸村第146号古墳
現在の太田市成塚町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ不詳とある



綜覧では円墳とされているが、前方後円墳集成では成塚稲荷神社古墳の名で載っており、こちらでは前方後円墳となっている
そして、群馬県遺跡台帳では「南半分が平夷され、稲荷神社が祀られ」ているとのこと



肝心の墳丘は、社殿の裏に現存するが集成では「墳丘一部残存」という扱いである


社殿の南西には様々な大きさの石が積み上げられており、このうちのどれかが石室材であったり、あるいは葺石であるかも知れない・・・などと、想像はふくらんでいく


2009年8月11日(火)21:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡強戸村第136号藤五郎塚古墳

新田郡強戸村第136号藤五郎塚古墳
現在の太田市強戸町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ66尺(約19.9m)、高さ11尺(約3.3m)とある



綜覧には「石槨開口ス」とあり、また群馬県遺跡台帳でも「横穴式石室が開口している」とあるが、現状まったく確認できなかった


裾部に石を積み上げて要塞化した際に、石室の入口も塞いでしまったものと思われる


墳丘上へ登れる階段があるが、施錠された門扉に阻まれ、行くことができなかった


2009年8月10日(月)21:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡鳥之郷村第4号赤城古墳

新田郡鳥之郷村第4号赤城古墳
新田郡太田町を経て、現在の太田市鶴生田町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ99尺(約29.9m)、前方部の高さ1尺(約0.3m)、後円部の高さ6尺(約1.8m)とある



墳丘のある辺りには赤城神社の社殿が建つが、これを建てる際に大きく墳丘を削り取ったようだ


現在の墳丘は、小さな土塁状に残る
綜覧には「槨石アリ」と記載されているが、これは石室材の一部ということなのだろうか、それとも「石槨アリ」の誤植なのだろうか
前方後円墳集成には横穴式石室の存在が記録されているが、その痕跡は見つけられなかった



集成には「方位N-約90°-W」とあるので、主軸は真西を向いていたことになるが、綜覧記載の時点で30cmの高さしか残っていなかった前方部は完全に消滅したようだ


土塁状に残った墳丘の内側には、小祠が数多く集められている
これらが、地域のあちこちに点在していたものをここに集めたものなのか、それとももともと各神社の末社としてここに置かれたものなのかは不明



2009年8月9日(日)21:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡鳥之郷村第3号鶴山古墳その2

上毛古墳綜覧には「亀山ト相対シ同型ノモノナリ」とあるが、これには少々疑問がある
現代の地図で見る限り、確かに所在位置は約400m離れた状態でほぼ東西に2基並んだかたちにはなるが、本古墳の主軸の向きは東南東であり、綜覧新田郡鳥之郷村第2号亀山古墳は北西である



また、あちらからは埴輪片が出土しているのに対し、本古墳からは埴輪片も葺石も確認されていない
この低く長い前方部を見ていると、やはり亀山古墳とは違う性格を持つものだと考えたくなる



後円部には竪穴式石室があるのだが、これについて群馬大学の尾崎教授は、著書の「古墳のはなし」でこう述べておられる
「周濠をもった積土の大古墳であるが、その後円部の頂に、墳丘にくらべてすこぶる小さな竪穴式石室がただ一つあっただけで、(中略)臀骨と脚骨とおもわれる長い骨が、まんなかに一たばになっていて、頭骨も脊骨も腰骨もなく、歯さえ一本も発見しなかった」



この不思議な遺骨の出土状況を、尾崎教授は同書の中で上毛野君田道の言い伝えに重ね合わせておられるが、確かに納得できる部分が多い
果たして真相はどうなのだろう・・・?



2009年8月8日(土)22:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡鳥之郷村第3号鶴山古墳その1

新田郡鳥之郷村第3号鶴山古墳
新田郡太田町を経て、現在の太田市鳥山上町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ297尺(約89.9m)、前方部の高さ8尺(約2.4m)、後円部の高さ42尺(約12.7m)とある



説明看板


前方部
植え込みが多く、ここからだと前方部全体が写らない



鞍部
この辺りの地名の小字は八幡という
綜覧でも「八幡祠アリ」と記載されているが、画像の小祠がそれであると思われる



後円部
低く長い前方部に比べ、非常に比高がある



2009年8月7日(金)22:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡鳥之郷村第2号亀山古墳

新田郡鳥之郷村第2号亀山古墳
新田郡太田町を経て、現在の太田市鳥山上町にある前方後円墳または円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ162尺(約49.1m)、前方部の高さ6尺(約1.8m)、後円部の高さ37尺(約11.2m)とある



墳丘の南側には菅原神社の社殿が載っかっている


その背後には、非常に比高のある墳丘が現存する


綜覧では「柄鏡式古墳 鳥臣命御陵ト伝フ」と記載された前方後円墳となっており、群馬県遺跡台帳でも前方後円墳であるとしている


前方後円墳集成でも、主軸をほぼ北西に向けた前方後円墳であるとしており、その規模は墳長58m、後円部径31m、後円部高さ9m、前方部高さ3mとある
しかし、太田市史では円墳の可能性があるとしており、今後の調査が望まれる



2009年8月6日(木)21:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理


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