太田市笠松遺跡その1 |
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| 太田市笠松遺跡 太田市新田小金井町にある律令期の遺跡である
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| 今回、現地説明会があり見学してきた 発掘作業で掘り返された土の山が展望台となっており、遺構全体の把握がしやすかった
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| その展望台の上より見る 国指定史跡新田郡庁のすぐ南西に位置し、出土した遺構の多くが新田郡庁と共通していることから、本遺跡には新田郡庁の出先機関、関連施設があったものと推測される なお、現地説明会資料では本遺跡の名称を「笠松遺跡・天良七堂遺跡」と併記している
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| 展望台より見る反対側 こちらはすでに埋め戻されているが、南側で縄文時代後期の土坑や古墳時代初頭の集落跡などが発見されており、もしかしたら本遺跡のすぐ南の松尾神社境内に位置する上毛古墳綜覧新田郡生品村第9号古墳にも関係があるかも知れない
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| 3枚目の画像の中央付近を斜めに横切る大溝が写っているが、これは古代の溝で、遺構を角形に囲繞しているらしい そしてこの画像は本遺跡最北端で発見された大溝で、現地表からの深さ1.5m以上、幅2mとの話であった
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2009年7月26日(日)22:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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太田市上野国新田郡庁跡その4 |
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| 3号礎石建物跡 大きさは8m×10.5m ここと4号礎石建物跡の周囲から多量の炭化米が出土しており、失火か放火かは不明ながらも、正倉が炎上したことを物語っている
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| 5号掘立柱建物跡 3号礎石建物のすぐ南側に、重なるように建てられていた 柱穴の配置から、八角形の建物と推定されている 上野国内の郡庁の建物としては2例目の発見である
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| 4号礎石建物跡 大きさは7.2m×10.5m 2号礎石建物と同一の数字である
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| 3号礎石建物と同様に、掘り込み地業の正倉と見られている
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2009年1月27日(火)22:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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太田市上野国新田郡庁跡その3 |
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| 史跡としての国指定地の西からも、新田郡庁の遺構は見つかっている これはその1号礎石建物跡
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| 大きさは6.3m×9m 正倉の跡と見られている
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| 西から見る
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| 2号礎石建物跡 壷地業の正倉跡とのことである
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| 大きさは7.2m×10.5m
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2009年1月26日(月)22:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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太田市上野国新田郡庁跡その2 |
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| 前殿と見られる10号掘立柱建物跡 時期としては1号礎石建物と同じ頃のものらしい
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| その先には石敷き通路がある
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| こちらのほうは、9号掘立柱建物が正殿だった頃のものと見られている 西側、画像でいう右奥は残念ながら撹乱されていていた
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| 南から見る この石敷き通路の先に前殿があり、そしてその向こうに正殿・・・ その時代の栄華に、胸を馳せてみる
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2009年1月25日(日)22:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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太田市上野国新田郡庁跡その1 |
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| 太田市上野国新田郡庁跡 太田市天良町にある律令期の郡庁跡で、以前は天良七堂遺跡と呼ばれていたが、2008年夏に「史跡上野国新田郡庁跡」として国指定史跡となっている 今回、2008年度の現地説明会が行われたので、見学してきた
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| 白線が1号礎石建物跡 青線が9号掘立柱建物跡 どちらも郡庁の正殿と見られているが、先に9号掘立柱建物が建てられ、その後1号礎石建物に建て替えられている
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| 建て替えの際、建物としての規模も拡大されているのが分かる
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| 9号掘立柱建物跡の礎石
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| トレンチ断面
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2009年1月24日(土)21:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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新田郡藪塚本町第66号古墳その2 |
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| 新田郡藪塚本町第66号古墳 現在の太田市藪塚町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ89尺(約26.9m)とある
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| 説明看板 現在、西山古墳と呼ばれており、綜覧では円墳とあるが、その後の調査で前方後円墳と判明している 前方後円墳集成では看板に書かれた数値のほか、墳長34mと記載されている
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| 石室入口 この改変っぷりはいったい何なのだろうか 石室両壁の石積みが崩落しないように、隙間にコンクリを流し込むのはまぁ目をつぶるとしても、この古墳名入りの屋根は何のつもりなのか・・・
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| 石室内部 崩落防止の補強材に目が行く
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2009年1月7日(水)21:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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新田郡藪塚本町第66号古墳その1 |
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| 太田市旧藪塚本町にある自然丘陵の西の道に、こんな看板がある
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| 見事な雑木林の中を歩く、歩く、歩く・・・
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| と、視界の向こうに古墳が見えてくる
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2009年1月6日(火)22:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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新田郡藪塚本町第35号古墳 |
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| 新田郡藪塚本町第35号古墳 現在の太田市に藪塚町ある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ80尺(約24.2m)、高さ3尺(約0.9m)とある
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| 石室入口
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| 説明看板 現在、本古墳は北山古墳と呼ばれている
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| もう一枚、別の説明看板
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2009年1月5日(月)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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新田郡藪塚本町第25号古墳 |
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| 新田郡藪塚本町第25号古墳 現在の太田市藪塚町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ108尺(約32.7m)、前方部の高さ15尺(約4.5m)、後円部の高さ25尺(約7.6m)とある
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| 南南東より見る こんななりでも、一応は前方後円墳であるようで、前方後円墳集成では長円寺古墳の名で記載されており、主軸の方位は「N-140°-W」とある これに従うのであればこちらが前方部
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| そして北より見るこちら側が後円部・・・ということは、方位だけで判断すれば、かなり古い古墳ということになる
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| 東北東から見る 同じ旧藪塚本町内の数少ない現存古墳である北山古墳から西へ下ってくると、寺院の中に浮かぶ墳丘がはっきり見えてくる
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2009年1月4日(日)22:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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新田郡生品村第2号二ツ山古墳 |
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| 新田郡生品村第2号二ツ山古墳 新田郡新田町を経て現在の太田市新田天良町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ300尺(約90.9m)、前方部の高さ20尺(約6.1m)、後円部の高さ40尺(約12.1m)とある
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| 説明看板
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| 後円部より前方部を見る
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| 後円部
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| 綜覧では「石槨開口ス 幅四尺 高三尺 奥行二一尺」と記載されているが、現在、石室入口は埋没してしまっている
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2009年1月3日(土)22:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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