太田市福蔵院古墳 |
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| 太田市福蔵院古墳 太田市新田市野井町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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| 福蔵院というお寺の裏にひっそりと所在する
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| 墳丘全体を見渡すには、ちょっと手前の植え込みが残念なところだが、贅沢は言えないか
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| 南東より見る
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| 墳頂部 その向こうには小祠が載る
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2009年8月5日(水)22:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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太田市入谷古墳 |
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| 太田市入谷古墳 太田市新田村田町にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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| 太田市の遺跡台帳では墳形について全く触れていないが、現状から推測すると、面積を1/4ほどに削られた円墳といったところだろうか
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| 群馬県文化財情報システムによれば、本古墳の北、古代東山道を挟んだむかいには入谷遺跡という官衙遺跡があり、またその東には新田郡庁が所在する 本古墳の築造時期は不明だが、これらに係わった人たちの数代前の先祖の墓なのかも知れない
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| 墳頂部 小祠が載っかっている
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2009年8月4日(火)21:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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新田郡生品村第9号古墳その2 |
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| 社殿裏にわずかに残った墳丘 上毛古墳綜覧では「酒造邑君高橋活目命ノ陵ト伝フ」とあるが、誰のことなのやら 墳形の判断はできない状態である
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| 接近してみる 本古墳の墳形について、綜覧では「長方円型(現形状)」とあり、また群馬県遺跡台帳では「前方後円墳で、後円部には神社本殿がある」と記載されているが、太田市の遺跡台帳では墳形について、まったく触れていない
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| 松尾神社の境内には、神社についての説明看板が建っているのだが、古墳についてはまったく何も書かれていない
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| この神社の太々神楽は、無形文化財として大切にされているようだ
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2009年8月3日(月)21:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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新田郡生品村第9号古墳その1 |
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| 新田郡生品村第9号古墳 新田郡新田町を経て、現在の太田市新田小金井町にある古墳で、上毛古墳綜覧では全長360尺(約109.1m)、高さ10尺(約3m)とある
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| 松尾神社の社殿裏に墳丘が現存するが、綜覧記載の規模にはほど遠い大きさに縮小されてしまっている
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| 墳丘の傍らには、乃木希典が揮毫した「日露戦役紀念碑」なる石碑がある
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2009年8月2日(日)21:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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新田郡生品村第7号古墳 |
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| 新田郡生品村第7号古墳 新田郡新田町を経て、現在の太田市新田市野井町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ78尺(約23.6m)、高さ8尺(約2.4m)とある
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| 墳頂部には、綜覧にも「愛宕社アリ」と記載されているとおり愛宕神社を祀った小祠が載る
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| しかし、現在の墳丘の規模は綜覧記載の数字の半分もないようだ
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| 太田市の遺跡台帳には「愛宕古墳」の名で記載されており、これは群馬県文化財情報システムでも共通である
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| ところで、本古墳の所有者は今も綜覧記載の生品神社なのだろうか?
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2009年8月1日(土)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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太田市笠松遺跡その6 |
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| 掘立柱建物は他にも多数あったようだ
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| その奥 ちょうど、竪穴式住居跡の検出された位置の真東にあたる
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| それにしても、これだけの大きさの穴が要る掘立柱建物とは、どんなものだったのだろうか・・・
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| その南東には柵列の跡が見つかっているのも気になる
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| そのさらに南東にもまた掘立柱建物跡 古代の東山道駅家か、それとも倉庫群か、はたまた新田郡庁の別院か、現地説明会配布資料でも「今後の課題」としている
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2009年7月31日(金)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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太田市笠松遺跡その5 |
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| ちょっと変わった掘立柱建物の遺構
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| 現地説明会の配付資料では、布掘りの掘立柱建物とある
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| 別角度
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| そのすぐ北からは、竪穴式住居跡が見つかっている
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| これも全体の1/3ほどが調査区の外になってしまっている
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2009年7月30日(木)21:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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太田市笠松遺跡その4 |
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| 基壇の上に載っかっていたとされる掘立柱建物の跡
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| 別角度
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| その脇には、小ぶりの掘立柱建物が建っていたようだ
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| アップで見てみる
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| その周囲には、深さ20cmほどの小さな溝が走っている
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2009年7月29日(水)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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太田市笠松遺跡その3 |
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| 粘土採掘坑
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| 別角度
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| そのアップ
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| 別の所にも粘土採掘坑が見つかっている これらの場所から掘り出された粘土は、画像中央部の掘立柱建物が建っていた辺りの基壇に使われたということである
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| その基壇の断面 版築状に突き固められているが、現状での厚さは最大で20cmほどしかない 本来はその数倍の厚さがあるはずなのであるが、残念ながらその部分は後世の撹乱で失われてしまっているらしい
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2009年7月28日(火)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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太田市笠松遺跡その2 |
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| さて、その古代の溝の全体図を南西より見る
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| 1枚目の画像の立ち位置の真下の層
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| そこからぐっと北東に向かった場所
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| 何やら石礫の混じった黒土があった
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| そこからさらに北東側 北西に向かいゆっくりと曲がり角になっていくところで、調査区の外に出てしまうのが残念
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2009年7月27日(月)21:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理
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