厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 


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高崎市第178号三島塚古墳

高崎市第178号三島塚古墳
高崎市石原町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ80尺(約24.2m)、高さ22尺(約6.7m)とある



墳丘上には三島神社の社殿が鎮座する


説明看板
非常に整った円形が残っていることが分かる
しかし、出土した石棺はどこへ行ったのやら
この説明看板を読むだけでは、彦狭島王の陵墓と言われているのはここだけのようにも受け取れるが、実は結構あちこちにそういった伝承がある



北西より見る


2008年8月16日(土)21:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市行力町榛名社304所在古墳・群馬郡六郷村第12号稲荷山古墳

高崎市行力町榛名社304所在古墳
高崎市行力町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



行力工業団地内の神社の裏にある
高崎市史では横穴式石室の存在が記載されているのだが、確認できなかった
恐らく、この石垣に埋もれてしまったのだろう



群馬郡六郷村第12号稲荷山古墳
現在の高崎市上小塙町にある円墳で、綜覧では大きさ191尺(約57.9m)、高さ27尺(約8.2m)とある



石室入口と説明看板
珍しく北向きに石室が開口する貴重な円墳である



石室内部


2008年8月15日(金)22:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡箕輪町第3号古墳

群馬郡箕輪町第3号
群馬郡箕郷町を経て現在の高崎市箕郷町上芝にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ11尺(約3.3m)、南北の大きさ16尺(約4.8m)、高さ6尺(約1.8m)とある



石室入口
綜覧記載の数字から判断すると、昭和10年の時点で封土をほとんど失っていたものと思われる
現在、石室材はコンクリートで固められている



外から見る限り、石室材に使われている石ははだいぶごつい印象


こうなると、オリジナルでない石も混じっていそうな気もするのだが、実際のところはどうなのだろうか


背面にはいろいろな石造物が林立している
群馬県文化財情報システムで本古墳は「天宮古墳」と呼ばれているのだが、どこからそんな名前が付いたのか、皆目見当が付かない



2008年8月14日(木)21:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡箕輪町第1号椿山古墳・群馬郡箕輪町第2号行人塚古墳

群馬郡箕輪町第1号椿山古墳
群馬郡箕郷町を経て、現在の高崎市箕郷町西明屋にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では全長500尺(約151.5m)、前方部の高さ20尺(約6.1m)、後円部の高さ55尺(約16.7m)とある



さて、後円部と思われる高まりは分かるものの、どのあたりが前方部なのやら
綜覧には「石槨露出湟阯有」とあるものの、後者は確認できなかった
前者は墳丘上に登れば見つかるようだが、今回は登っていない



北北東より見る
この山は、箕輪城に繋がる「椿山の砦」と呼ばれていた辺りでもある



群馬郡箕輪町第2号行人塚古墳
群馬郡箕郷町を経て、現在の高崎市箕郷町矢原にある方墳で、綜覧では大きさ33尺(約9.9m)、高さ13尺(約3.9m)とある



綜覧では「円墳」として記載されているが、説明看板に書かれているように、実は方墳であったようだ
画像には写っていないが、南側は墓地となってしまっており、古墳としての景観を損ねている
また、石室も埋め戻されており見学不能である



2008年8月13日(水)21:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡相馬村第4号古墳・群馬郡相馬村第5号古墳・群馬郡相馬村第33号古墳

群馬郡相馬村第4号古墳
北群馬郡桃井村を経て、現在の北群馬郡榛東村広馬場にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ67尺(約20.3m)、南北の大きさ80尺(約24.2m)、高さ6.7尺(約2m)とある
榛東村古墳番号第42号



群馬郡相馬村第5号古墳
北群馬郡桃井村を経て、現在の北群馬郡榛東村広馬場にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ62.6尺(約18.9m)、南北の大きさ54.6尺(約16.5m)、高さ5.8尺(約1.8m)とある
榛東村古墳番号第43号は綜覧番号不詳となっているが、榛東村の古墳分布図では本古墳の位置にプロットされているようだ



群馬郡相馬村第33号古墳
北群馬郡桃井村を経て、現在の北群馬郡榛東村広馬場にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ152尺(約46.1m)、南北の大きさ142尺(約43m)、高さ12尺(約3.6m)とある



規模から見て、どうやらこの盛り土状のものが古墳であるらしい
分布図のプロットマークの色で見ると、石室が確認されているようだ
綜覧ではここのすぐ南側にある聖宮神社の社殿の載った山を綜覧群馬郡相馬村第32号方聖山古墳としているが、榛東村では古墳として見ておらず、古墳番号が付いていない
榛東村古墳番号第47号



2008年8月12日(火)21:55 | トラックバック(0) | コメント(2) | 北群馬郡榛東村 | 管理

群馬郡桃井村第3号稲荷塚古墳・群馬郡桃井村第127号天王山古墳

群馬郡桃井村第3号稲荷山古墳
北群馬郡桃井村を経て、現在の北群馬郡榛東村新井にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ188尺(約56.9m)、前方部の高さ13尺(約3.9m)、後円部の高さ20尺(約6.1m)とある



墳丘は藪に覆われており、登れなかった
また、墳丘を見られるのは北側からだけであり、前方部がどの方角を向いているかも判別できなかった
綜覧によると、円筒埴輪が出土しているらしい
北群馬郡榛東村古墳番号第2号



群馬郡桃井村第127号天王山古墳
北群馬郡桃井村を経て、現在の北群馬郡榛東村新井にある円墳で、綜覧では大きさ132尺(約39.9m)、高さ7尺(約2.1m)とある



西から見る
綜覧では「石祠有」と記載されており、おおよそこの角度でちらりとそれらしきものが肉眼で確認できた



とはいえ、このとおり草木に覆われ、墳丘自体を見渡すことは困難な状態である
群馬郡榛東村古墳番号第41号



2008年8月11日(月)21:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 北群馬郡榛東村 | 管理

渋川市中筋遺跡

渋川市中筋遺跡
渋川市行幸田にある古墳時代の遺跡で、榛名二ッ岳の噴火で埋没している
古墳時代の遺跡として復元されてはいるが、縄文期から平安期の複合遺跡でもある



復元された竪穴式住居
背景の現代の家並みに溶け込んでいるように思えるのはおいらだけだろうか



古墳と平地型住居
規模がやたら小さいが、実際にこの大きさだったわけではなく、次の画像にある絵のように、それなりの規模だったようだ
中筋遺跡の発掘調査概要報告書によれば、背後の生け垣のあたりを中心として、これの2倍ほどの面積を占めていたようだ



その復元図
そこそこ大きい規模で描かれているのが分かる
この図は第二次発掘調査概要報告書に載っている古墳時代遺構全体図と同じもの



個人的には、夏と冬で住み替える生活というのが面白いと思った
また、この生活様式はアイヌとも共通するというところがますます興味深い



2008年8月10日(日)18:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

横浜港その4

シーバス3号


ロイヤルウイング


その船尾側


かいよう


マリーンルージュ


2008年8月9日(土)21:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 乗り物 | 管理

横浜港その3

船尾は実にゆるやかなラインを描いている


「彼女」という名称よりも、「女王」という名称のほうがしっくりくる
氷川丸の同型船は平安丸と日枝丸、すべてアルファベットHが頭文字の神社(神宮)名から名付けられているが、同型船はどちらも戦没してしまった



そして船内
随所にかつての栄華の名残が煌めいていた



デッキにも出ることが可能
ただし、時間的な制約の関係で、ブリッジのほうには行けなかったので、これまた再訪予定



機関室内


2008年8月8日(金)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 乗り物 | 管理

横浜港その2

横浜港のシンボルともいえる氷川丸
でもこのアングルで氷川丸を見た人はあまりいないんじゃないだろうか



このアングルもまた見かけないほうに入るんじゃないだろうか
おいらは1/700で戦時中の同型船日枝丸のを作っているので、あちこち見ていて「あぁなるほどねぇ」と親しみが湧く



今回、17年ぶりにここを訪れたのだが、改めて見てみると大きさが際立って見えた


かつて多くの旅行者でにぎわい、そして傷病兵も運んだ船の姿は、今も変わらない


ということで、山下埠頭に上陸
右端に見えるのは、かつての灯台



2008年8月8日(金)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 乗り物 | 管理


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