厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 


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群馬郡総社町第13号一本木塚古墳・群馬郡総社町第15号薬師塚古墳

群馬郡総社町第13号一本木塚古墳
現在の前橋市総社町桜が丘にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ77尺(約23.3m)、高さ7尺(約2.1m)とある



総社町史によれば「植野の稲荷神社の附近にも十二塚の名が示すように、相当古墳があつたことと思われるが利根川に欠落され」たということである
現在の利根川の流れは、古墳時代とは違うものなのだが、確かに地図で見ると、総社古墳群を、利根川を越えてそのまま南東方向に伸ばしていくと前橋市街地の古墳に突き当たる



この崖の南東にもかつてはいくつかの古墳が見受けられたのであろう
その先は綜覧前橋市第11号古墳(前橋城内)や綜覧記載漏れ龍海院裏古墳、綜覧前橋市第9号古墳(前橋八幡宮)と繋がっていき、やがて広瀬古墳群に行き着く



群馬郡総社町第15号薬師塚古墳
現在の前橋市総社町桜が丘にある円墳で、綜覧では大きさ71尺(約21.5m)、高さ8尺(約2.4m)とある



綜覧には「石槨有」と記載されているが、確認できなかった
総社町史によれば、本古墳の東30mと北300mにもそれぞれ円墳のあった跡があるとのことだが、そのうち前者はどうやら道路を挟んで東側にある百庚申のことであるようだ
その百庚申も、墳丘の名残と思われる高まりは見受けられない
なお、綜覧群馬郡総社町第6号遠見山古墳の南側にも「薬師塚」と呼ばれる古墳跡があるとのことで、群馬県遺跡台帳では両者を混同してしまっている



2008年7月6日(日)22:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第7号大小路山古墳・群馬郡総社町第12号稲荷山古墳跡

群馬郡総社町第7号大小路山古墳
現在の前橋市総社町総社にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ53尺(約16.1m)、高さ7尺(約2.1m)とある



墳頂部には熊谷稲荷神社が建っている
神社境内には石が多数見られ、群馬県遺跡台帳でも「石塔や頂上部に散在する石、及び石片は石室に使用されたものとみられる」とあるが、現状そんな感じに見られずちょっと古墳の面影が薄い



しいて挙げれば、この高まり程度だろうか
神社の説明看板にも、古墳については何も触れていない



群馬郡総社町第12号稲荷山古墳
現在の前橋市総社町総社にあった円墳で、綜覧では大きさ110尺(約33.3m)、高さ16尺(約4.8m)とある



土地の所有者のお宅にある稲荷社
元は本古墳の墳頂部にあったもので、削平時にここへ移設したもの
古墳自体はこの背後にあったが、削平前の状況は「墳丘は大部分破壊され、横穴式石室の石材も、一部露出している」状態だったようだ
土地の所有者によれば25年ほど前に削平、その際に錆びた刀が出てきたとのことで、学校に寄付したものの、管理が移ったとかで現在は所在が分からないとのこと
なお、跡地にはアパートが建っている



2008年7月5日(土)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第10号愛宕山古墳その2

石室入口
かなり狭くなってしまっているが、それが探検にちょうどいいのだろう、近在の子供の遊び場にもなっているようだ
いつぞや訪れたときは、何人かの子供たちが探検ごっこをしていた



石室内部より入口を見る
ごらんのとおり、かなり埋まっている



家形石棺
盗掘の跡がしっかりと確認できる



石棺内部はもちろんもぬけの殻
さて、どんな副葬品があったのやら



2008年7月4日(金)20:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第10号愛宕山古墳その1

群馬郡総社町第10号愛宕山古墳
現在の前橋市総社町総社にある方墳で、上毛古墳綜覧では大きさ180尺(約54.5m)、高さ約26尺(約7.9m)とある



綜覧では円墳とされているが、近年の調査で方墳と判明している
周囲は数年ほど前までは桑畑が広がっていたのだが、中学校が移転したり、宅地化が進んだりと、だいぶ景観が変わってしまった



石室入口と説明看板
二段構築の基壇部にある
周りは墓地となっており、江戸期の年号が刻まれたものもかなり見受けられる
割と新しい墓も建っているのだが、墓を建てた人に連絡がつかないために、市指定の史跡になり損ねたとのことである



説明看板
ちなみに、墳丘には登れなくもないが、藪が多いうえに東側で足を踏み外したりすると、すぐ脇を流れる天狗岩用水に真っ逆さまに転落する危険があり、おすすめしない



2008年7月4日(金)20:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

前橋市第3号唐櫃山古墳石棺

前橋市第3号唐櫃山古墳石棺
前橋市文京町にあった帆立貝式古墳で、上毛古墳綜覧では大きさ120尺(約36.4m)、高さ10尺(約3.0m)とある



説明看板
ステンレスだと、文字が見づらい・・・
唐櫃山古墳自体は、古くに削平されており、現在宅地になっているが、出土した石棺が唐櫃山古墳の所在した場所から北西に約900m離れた中川小学校の校庭に展示されている



石棺自体は風化が進み、苔むしてしまっている
蓋の部分は所在不明だが、高崎市不動山古墳(綜覧群馬郡岩鼻村第15号不動山古墳)のように、覆屋でもかけられないものだろうか
現物を見る限り、長さはかなり短いもので、現代人と古代人の身長差はそんなにあったのだろうかとも考えてしまう



比較的古い家形石棺とのことだが、これを見ると確かに総社愛宕山古墳(綜覧群馬郡総社町第10号愛宕山古墳)の家形石棺を彷彿とさせるものがある
手前には石室材と思われる石があり、もしかしたら石室の側壁あたりに収まっていたものなのかも知れない
何となくだが、榛名山二ッ岳由来の角閃石安山岩のように見える



反対側には、石棺と同じくらいの大きさの巨石も置かれている
これらの石については説明看板でも触れていないが、楔を打ち込んで割った加工痕がはっきりと見てとれる
これも古墳の石室材なのだろうか



2008年7月3日(木)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

前橋市第2号不二山古墳・前橋市第9号古墳

前橋市第2号不二山古墳
前橋市文京町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ190尺(約57.6m)、前方部の高さ20尺(約6.1m)、後円部の高さ19尺(約5.8m)とある



墳丘上には葺石と思われる石が散見できた
綜覧によれば「国造射狭君近親ノ墓ト伝フ、元八幡宮アリ、石槨存ス」とある
この石槨というのはどうやら横穴式石室らしいが、はたして本古墳の2倍の相似形である前橋市第1号二子山古墳と、どこまで関連性があるだろうか・・・



前橋市第9号古墳
前橋市本町にある古墳で、綜覧では墳形・規模ともに不詳とある



ここが古墳を土台にした神社であることを知ったのは、昨年の春
おいらはこの「八幡さま」で七五三のお参りをしているので、そりゃもう驚いたの何のって・・・
小3の写生大会では、この構図で絵を描いていたりする
石垣の塗り分けに時間をかけすぎ、なかなか終わらなかったのを覚えている



何だかんだでけっこう馴染み深いところでもある
そういえば社会科見学もやったなぁ
ここが古墳だとは誰も教えてくれなかったけどw



2008年7月2日(水)21:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

佐波郡上陽村第20号かめづか山古墳

佐波郡上陽村第20号かめづか山古墳
現在の前橋市山王町にある帆立貝形古墳で、上毛古墳綜覧では大きさ132尺(約39.9m)、高さ20尺(約6.1m)とある



古墳の横に宅地を建てるっつー感覚が理解できない
仮にも古代の人のお墓でもあり、その横に住まうというのはどうも・・・
古墳を中心とした景観上の観点からみても、こういうのは納得できないのだが



気を取り直して、説明看板
そろそろリニューアルしてもらいたいところだ
見ての通り、現在は亀塚山古墳と呼ばれており、綜覧や説明看板では前方後円墳とあるが、実際は帆立貝形古墳だと思う



東より
ここからだと前方部というよりは造り出し部がよく見える



南西より
肉眼ではしっかり見えるのだが、画像では木々に邪魔されて墳丘があまりよく見えない



2008年7月1日(火)21:04 | トラックバック(0) | コメント(2) | 前橋市 | 管理

太田市塚廻り古墳群第4号古墳

太田市塚廻り古墳群第4号古墳
田んぼの広がる中に、ぽつんと佇む古墳公園になっている



説明看板
ボールか何かを当てられたようで、へこみがひどい
看板の白黒写真には、第3号古墳もちらっと写っている



この第4号古墳は、豊富な埴輪列が出土したことでも有名
その配列もしっかり紹介されている



肝心要の第4号古墳はこんな感じ
残念ながら一部の復元埴輪が破損してしまっている



ちょうど第3号古墳があった場所の脇から見る
北関東自動車道太田桐生インターを出て、国道122号線を南下すると案内板があちこちに出ていて、迷わずにたどり着けたのには感心した



2008年6月30日(月)20:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

太田市塚廻り古墳群

太田市塚廻り古墳群
昭和51年、圃場整備の際に偶然土中から7基からなる古墳群が発見された
このうち、第4号古墳が保存整備されている
画像は第4号古墳の西側から見る第1号古墳、第2号古墳、第6号古墳、第7号古墳跡地
いずれも埋め戻されてしまっているが、第1号古墳周辺の塚井という小字が気になる



第3号古墳跡地
第4号古墳のすぐ北にあった
この第3号古墳と第4号古墳の場所が塚廻りという小字なのだが、この地名、いつ頃からある名前なのだろうか・・・



第5号古墳跡地
第4号古墳の南西にある



2008年6月30日(月)19:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

佐波郡玉村町小泉古墳群

佐波郡玉村町小泉古墳群
この説明看板がある芝根小学校の建設工事の際、土中に埋没した古墳がいくつも見つかっており、このうちの第3号が前方後円墳であった



現在、小学校の敷地内に石室の位置を示した盛り土と石列がある
こういったものは、見学時にだいぶ気を使うので面倒でもある



芝根小学校の北にある佐波郡玉村町No.439遺跡
現状は墓地だが、埴輪が出土しているらしい



同じく佐波郡玉村町No.438遺跡
こちらも墓地だが、霊廟がある
佐波郡玉村町教育委員会の方に伺った話では、手前の水の張った田んぼの周辺に、時期によってはクロップマークが出るとのこと
また、小泉古墳群の分布は、玉村町文化センター2階の玉村町歴史資料館で詳しく紹介されている



2008年6月29日(日)22:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理


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