厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 


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佐波郡芝根村第4号殿台山古墳・佐波郡玉村町No.370遺跡

佐波郡芝根村第4号殿台山古墳
現在の佐波郡玉村町下茂木にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では前方部の幅77尺(約23.3m)、前方部の高さ4尺(約1.2m)とある



現存する部位は前方部のみで、後円部は削平されてしまっている
また、綜覧では「デンデ山」という名前も併記されている。発掘歴有とも書かれているが、出土品については記載なし
「日本の古代遺跡16 群馬東部」(保育社刊)によれば「規模は明確ではないが、金環、銀環、勾玉、管玉、小玉、大刀、鉄鏃、銀製弓弭(ゆはず)、轡、銅鋺、土器などが出土」とのことである
現在、墓地入口には多数の石碑や石宮が並んでいる



東から見る
左側のこんもりしたところが綜覧佐波郡芝根村第3号梨ノ木山古墳
本古墳の木の枝の下に重なる墓地が佐波郡玉村町No.370遺跡、そして右端の住宅地が綜覧佐波郡芝根村第2号オトカ塚古墳跡地で、その遥か向こうには綜覧佐波郡玉村町第1号軍配山古墳がある



佐波郡玉村町No.370遺跡
現在の玉村町下茂木にある古墳で、綜覧記載漏れ



北西より
綜覧佐波郡芝根村第4号殿台山古墳と綜覧佐波郡芝根村第3号梨ノ木山古墳が背景に写っている
本古墳の遺跡番号は佐波郡玉村町が作成した遺跡台帳の番号である



2008年6月20日(金)21:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理

多野郡藤岡町第4号古墳・藤岡市藤岡地区第14号古墳

多野郡藤岡町第4号古墳
現在の藤岡市本郷にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ40尺(約12.1m)、高さ7尺(約2.1m)とある



石室入口
説明看板はないが、こんな立派な石室があるんだから設置してほしいところ
墳丘上にある石碑は、先祖をたどると同じ一族の人の碑だったりするので、ちょっと気分はちょっと微妙
諏訪神社のすぐ北に位置していて、実際に墳丘を見る限り、径はもっとあるように見える



石室内部
ここの側壁も転びが見られる



藤岡市藤岡地区第14号古墳
藤岡市藤岡にある円墳で、綜覧記載漏れ



この古墳番号は藤岡市が付けたもの
諏訪神社のすぐ南にあり、円墳とのことだが改変著しくちょっと見には古墳に見えない
何とも見事なコンクリ要塞古墳である



2008年6月19日(木)22:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡藤岡町第3号古墳

多野郡藤岡町第3号古墳
現在の藤岡市藤岡にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ172尺(約52.1m)、高さ12尺(約3.6m)とある



この説明看板や群馬県文化財情報システムで見る限り、今日では「諏訪古墳」の名で呼ばれているようだ
綜覧では「尚一石槨有リトイフ」と書かれているのだが、これをそのまま解釈すると、もう一つ石室があるということになるのだろうか?



石室入口
真上は諏訪神社の社殿が乗っかっている



石室内部
非常に転びのきつい側壁である
羨道の入口側は自然石であるが、その途中から玄室部分までは凝灰岩の截石という、変わった構造



こちら側にはないが、後円部北側には周堀を改変したものと思しき池がある


2008年6月18日(水)22:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

藤岡市小林古墳群

藤岡市小林古墳群
藤岡市小林にある群集墳で、現存20基以上
はっきり言って把握しきれないw



ほとんどは上毛古墳綜覧にもしっかり記載されているが、どれがどれだとか照合するのも面倒だw


しかしまぁ、よくもまあこんなに密集しているものだ


向こうに見える国道254号線の陸橋の向こう側にも、まだ何基か存在している
この近所でお年寄りに聞いたところ、陸橋の工事でいくつかの古墳が潰されているとのことだった



八高線の線路の近くまで、古墳が接近している
小林古墳群からこの撮影位置のほうへ向かい、線路を越えれば諏訪神社の古墳群に続くので、ひとつの群として考えても良さそうな感じ



2008年6月17日(火)21:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

北甘楽郡福島町第2号神明塚古墳

北甘楽郡福島町第2号神明塚古墳
甘楽郡福島町を経て、現在の甘楽郡甘楽町福島にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ248尺(約75.1m)、前方部の高さ21尺(約6.3m)、後円部の高さ27.9尺(約8.4m)とある



前方部
高さがいくらか低い



後円部
こちらは非常に大きく感じる



後円部墳頂より前方部を見る
綜覧では「神明宮アリ」と記載されているが、墳丘上にあったのかそれとも墳丘南側の公園のあたりだったのかは不明
今日では神明塚ではなく専ら天王塚と呼ばれ、綜覧でも「(天王塚)」と併記されている



後円部南側には、葺石が顔を覗かせていた


2008年6月16日(月)23:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 甘楽郡甘楽町 | 管理

北甘楽郡福島町第1号笹森稲荷古墳

北甘楽郡福島町第1号笹森稲荷古墳
甘楽郡福島町を経て、現在の甘楽郡甘楽町福島にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ336尺(約101.8m)、前方部の高さ34.5尺(約10.5m)、後円部の高さ32尺(約9.7m)とある



説明看板
実測図は載っていないが、高崎市綿貫観音山古墳(綜覧群馬郡岩鼻村第22号観音山古墳)とほぼ同規格で墳丘が構築されているらしい



石室入口
標柱と鳥居がでかく見えるが、これが案外小さい
要するに石室入口自体が小さく改変されてしまっているからなのだが



石室内部
羨道部が非常に長い(約9m)ため、入口からは玄室部が見通せなかった



2008年6月15日(日)22:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 甘楽郡甘楽町 | 管理

高崎市本郷塚中古墳群

塚中2号古墳(奥原古墳群番号推定不能)
墳丘の高さはほとんどないが、石が転がっている
隣接する畑でお年寄りに話を聞いたら、昭和の初め頃からこんな様子だったとのこと



塚中4号古墳(推定奥原38号古墳)
塚中2号古墳から東へ道なりに行ってすぐ、民家の庭先にある
割と比高があり、塚中2号古墳の位置からもちらっと見える



塚中6号古墳(推定奥原44号古墳)
塚中4号古墳からさらに東に行った場所にある
「しどめ塚古墳」から本郷塚中(奥原)古墳群に移動すると、真っ先に目に入るはず



塚中7号古墳(推定奥原32号古墳)
塚中2号古墳の南にあり、奥原53号古墳からも西側にあるのがはっきりと見える
(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書第108集「本郷的場古墳群」によれば、上毛古墳綜覧群馬郡久留馬村第26号古墳であるとのこと
墳丘に生えていた木は数年前に伐採された模様



塚中9号古墳(推定奥原24号古墳)
塚中7号古墳からさらに南。例によって奥原53号古墳からもよく見える
いずれも本郷塚中古墳群としての番号と奥原古墳群調査報告書での奥原○号古墳としての番号とは一致しない
また、分布図では奥原53号古墳石室入口から見てすぐ西、周堀の外側にもマウンド(推定奥原29号古墳)が記載されているが、現地ではそれと分かるものは見当たらなかった
綜覧ではこの周辺の古墳が9基記載されているが、奥原53号古墳(綜覧群馬郡久留馬村第22号古墳)と塚中7号古墳(綜覧群馬郡久留馬村第26号古墳)以外はすべて不明
また、奥原古墳群としての番号は、分布図を元に照合してみただけなので、確証が持てないため「推定」とした



2008年6月14日(土)22:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡久留馬村第22号古墳

群馬郡久留馬村第22号古墳
群馬郡榛名町を経て、現在の高崎市本郷町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ172尺(約52.1m)、高さ15尺(約4.5m)とある



現在、所在の地名をとって本郷塚中53号もしくは奥原53号と呼ばれる古墳であるが、綜覧記載の大きさはちょっと大きすぎる
この辺りは本郷塚中(奥原)古墳群と呼ばれ、この群馬郡久留馬村第22号古墳(いや、ここは奥原53号古墳と呼ぶべきか?)を盟主墳として、その数65基の古墳が集中していたらしい
群馬県教育委員会発行の調査報告書では、「奥原古墳群」と題されている



石室入口
墳丘自体はかなり復元整備されているようだ



東から見る
この構図で見ると手前の稲田の辺り、ここに奥原49号があった



北から見る
こちら側は、手前には奥原61号と59号があった
これらを含め、奥原古墳群のほとんどが、群馬用水関連の圃場整備で調査後に削平されている



2008年6月13日(金)22:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡久留馬村第14号人民塚古墳

群馬郡久留馬村第14号人民塚古墳
群馬郡榛名町を経て、現在の高崎市本郷町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ66尺(約19.9m)、高さ12尺(約3.6m)とある



綜覧では古墳名の横に「(シドメ塚)」と併記されている
つまり、この人民塚古墳が「しどめ塚古墳」であるわけだが、説明看板では古墳名について何も触れていない
この「人民塚」というのはどうやら誤記のようで、他に「人民塚」という表記を見ない代わりに、まいぶん群馬HPなどで「人見塚」という表記を見かける
人見は当て字と思われ、また「しどみ」が転訛したものと思われる
「しどみ」「しどめ」とは草木瓜(くさぼけ)という植物の別名で、恐らくこれが生えていたことでこの古墳名が付いたものと思われる



石室入口
草に埋もれ、見通しがあまりきかない
このような状況で、教育委員会に連絡を入れたところで果たして実際に見学ができるのだろうか?



西側から見る
訪れたのは10月上旬で、ごらんの通り草木によって墳丘が覆い隠されてしまっている



東側もほぼ同様といったところ


2008年6月12日(木)22:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

ボンネットトラック

もう2年半前のことになるが、初冬のある日
ちょいと出かけたら偶然こんなものを見かけたことがある



ボンネットトラックを見かけるだけでも衝撃なのに、散水車仕様でフロントにはスノープラウ(排雪器)
ナンバーは付いてなかったが、これ幸いと撮らせてもらった



しかし見れば見るほど変わったクルマだなぁと思う
ボンネットトラック自体は、県内で延べ4、5台ほど見かけているが・・・



元々はどこかの道路公団かその下請けで使っていたクルマなのだろうか
ちなみに現在このクルマは所在不明になっている



散水タンクの下にあった架装メーカーの銘板
案外古くないような気がする



2008年6月11日(水)22:13 | トラックバック(1) | コメント(1) | 乗り物 | 管理


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