厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 


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天良七堂遺跡その1

太田市天良七堂遺跡
新聞報道によると、昨日の国の文化審議会でこの遺跡、つまり律令時代の上野国新田郡庁跡を国指定史跡とするように答申があったという
一連の画像は昨年11月に行われた現地説明会でのもので、白線が3号掘立柱建物跡、青線が4号掘立柱建物跡



何やら四角く切り取られたものも見受けられるが、これは何なのだろう?


説明と手渡された資料によれば、白線の3号のあとに青線の4号を建てているという
位置が微妙にずれている理由は分からないが、3号をどけたあとに4号を建てているのは確実だという



遺跡中央部の1号基壇建物跡
丁寧にならされ、版築状に踏み固められている



その版築は、こんな感じ


2008年5月17日(土)22:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

勢多郡木瀬村第2号古墳

勢多郡木瀬村第2号古墳
現在の前橋市東上野町にある円墳で、上毛古墳綜覧では直径60尺(約18.2m)、高さ10尺(約3m)とある



墳丘南側には上野神社の社殿が載る
綜覧では埴輪土偶が出土と記載されているが、そもそも土偶というのは(ry
好意的に人形埴輪でも出たと解釈しておこうかなぁw



現状を見る限り、綜覧記載当時と規模はほとんど変わっていないようだ
墳丘北西側はコンクリートで固められて改変されているが、状況を考えると、かつては手前の道路のあたりまで墳丘があったものと思われる



2008年5月16日(金)21:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡上川淵村第3号正平稲荷古墳

勢多郡上川淵村第3号正平稲荷古墳
現在の前橋市上佐鳥町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ42尺(約12.7m)、高さ10尺(約3m)とある



すぐ北側の春日神社にも古墳があり、何らかの関わりがあったかも知れない
本古墳の周囲は畑で、東側には端気川という小さな川が流れている
墳丘にはキツネをかたどった焼き物が数多く散乱し、一瞬「埴輪か!?」と身構えてしまった



北側から見る
社殿背後には大きな木が生えていて、とてもよい目印になる
こちらから見ると、畑の中にぽつんとあってたどり着くのが大変そうに見えるが、コンクリート舗装の小道があり、車でも何とかたどり着ける



2008年5月15日(木)22:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

静岡にて

今年も静岡ホビーショーに行けないので、2年前のときの自衛隊車輌展示を貼ってみる
ここ最近、毎年ホビーショーには自衛隊の協力で車輌の展示もやっているのだけれど、今年は89式装甲戦闘車が初参加らしい
新町で数回見てるけど、こういう場所でも見てみたいよ・・・
ということで装輪のほうの車輌を貼る



こちらは映画「戦国自衛隊1549」にも同型車がバリバリ出ている
操縦席のキャノピーは、こうしたいわゆる「外」に出るときにだけ使っているらしい



一般の人には「イラクのサマーワに行った自衛隊のクルマ」で通じると思う
いちおうタミヤから模型が出ているけど、イラク派遣仕様ではなく通常の国内仕様もほしいところ
違いは装甲関係がちょっと強化され、所属部隊の表記がないことくらいだけどね



そしてここでも撮る、例のものw
カワサキのも出ないかなぁ



2008年5月14日(水)22:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自衛さん | 管理

荒砥村第150号

勢多郡荒砥村第150号
今の前橋市西大室町の中央やや南西寄りに位置する円墳で、今は「荒砥富士山古墳」と呼ばれている
上毛古墳綜覧では大きさ66尺(約20m)とあるが、この数字はずいぶん少ないような・・・



南東側から見る
高さはさほどなく、説明看板によれば3mだということである



南西側より見る
現在、この周辺に残る古墳はあまりないが、かつてはかなりの数が群集していた模様
ここの西側に、不自然な曲がり方をした道があり、調べてみたらかつて何基かの古墳が張り出していたらしい
(現在は宅地化、荒砥村第14号~第17号と思われる)



墳丘南側には石室の天井石が顔を覗かせている
この下に石室が埋もれた状態で完存しているそうだ
綜覧にも「石槨現存」とあり、また大正13年の発掘で直刀二本が出土している



最後に、その案内看板
古墳から少し離れた場所にある



2008年5月14日(水)21:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

荒砥村第301号今井神社古墳

勢多郡荒砥村第301号今井神社古墳
今の前橋市今井町にでっかく鎮座する前方後円墳
上毛古墳綜覧では大きさ300尺(約91m)、高さ50尺(約15m)とあり、これだけの大きさのものは荒砥村南部ではさほどなく、隣接の木瀬村に至っては皆無である



例によって詳しくは(ry


看板に書かれている「組合せ式石棺」がこれ
どうやら凝灰岩でできているようだが、それにしてはあまり風化せずによく残っている
朱が塗られているそうだが、褪色したのか確認できなかった



後円部の基壇部から前方部左側を見る
木立が鬱蒼としてはいるが、墳丘自体はしっかりと視認できる
綜覧には「石槨湟現存、高貴ノ方ノ墳墓ト傳フ」とあり、直刀も1本出土しているらしい
(石槨湟阯現存、の脱字ではないかとも思うが・・・)



前方部より鞍部を見る
奥に見えるのは今井神社の社殿



2008年5月13日(火)22:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

金古町第69号と如来古墳群補遺

群馬郡金古町第69号
1ヶ月ほど前の記事で「どれに該当するのか、現時点では不明」と書いた古墳である
近くで農作業中のお年寄りに話を聞いてみたところ、「あれは○○さんちの山」ということで、古墳名が判明した



上毛古墳綜覧では円墳で発掘歴あり。規模は大きさ15尺(約4.5m)、高さ10尺(約3m)
石室がどうのとは書いてないが、墳頂部に生えた木の根が、内部を侵食しているであろうことは想像に難くない・・・



件のお年寄りの話では、やはり昔はそこら中に木の生えた小山(つまり古墳だ)がいっぱいあったが、みんな削られたとのこと
ついでに第68号御嶽山の読みを聞いたら「みたけさん」だった。前方後円墳であったかどうかについて聞いたら、社殿の裏に、以前はこんもりとした小山があったという
やはりいくらか削平・改変されてしまっていたようだ



ついでに第70号と思われる古墳についても聞いたら、ここで情報の食い違いが出てきた
「あれは△△さんの土地?」と聞いたら「いや、□□さんの土地だよ」とのこと
確かにその名前は綜覧の別の古墳にあったが、下の名前に聞き覚えがないらしい
そうなるとこの第70号は、所有者が代わったのだろうかと思ったが、「それはない」と否定された
地番で言えば第70号なのだが、所有者基準だと第63号・第64号、第66号になってしまう・・・



2008年5月12日(月)21:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

木瀬村第14号・荒砥村第315号(推定)

前橋市の国道50号、今井町の今井神社古墳の南東にあるのがこの勢多郡木瀬村第14号
上毛古墳綜覧記載当時は勢多郡木瀬村上増田字宮原という地名だったが、今は前橋市上増田町となっている



綜覧によると、当時の規模は大きさ60尺(約18m)、高さ11尺(約3.3m)
今でもかなりの大きさで残っており、現存する今井神社古墳群のものでは最大であろう(といっても他にほとんど残っていないが)



東側から見る
畑の中にどーんと佇んでおり、一見してすぐ「これは古墳か!?」とピンときて、すぐさま墳丘周辺にいた方に所有者名をお聞きして古墳名が判明できた
右奥にももう1基、古墳があるのだが、こちらは古墳名が確定できていない



勢多郡荒砥村第315号と推定される古墳
この画像でおいらが立っているこの道が、ちょうど村境にあたり、ここから北が荒砥村、南が木瀬村となるため、2基寄り添っていても村名が違う
古墳名を確定できていない理由だが、所在地の地番から判断すれば第315号となる



綜覧では規模不詳、今井神社の所有と記載されている
大正4年頃に発掘されているらしいが、出土品の記載なし
墳頂には木造の祠のようなものがあり、神社所有を伺わせるものがあるのだが、聞き込みでは個人所有とのこと
昭和10年以降に、所有者が変わったなら納得いくのだが、規模不明の円墳というのが理解できない
これだけかたちが分かっていれば、計測可能だと思うのだが・・・
地番が違うのはさておき、規模と所有者の名前で判断すれば、第306号、第309号、第313号の可能性もあるが
ともあれ「元は今井神社の所有」ということが分かれば確定可能なんだよなぁ



2008年5月11日(日)21:57 | トラックバック(0) | コメント(4) | 前橋市 | 管理

新屋村第17号さつき塚古墳・岩平村第1号八幡塚古墳

北甘楽郡新屋村第17号さつき塚古墳
現在の甘楽郡甘楽町庭谷地区、鏑川の南側に位置し、上州福島駅から北東に約1.4kmほどの場所にある
上毛古墳綜覧では大きさ15尺(約4.5m)、高さ6尺(約1.8m)。墳頂部には「厄除地蔵尊アリ」とのこと



この階段の石が怪しいなぁなどと、相変わらず古墳脳な思考ばかりしてしまう
果たしてこれは本当に古墳なのだろうか?



裏に回ってみると、確かにそれっぽい雰囲気がある
同じ墓だということで、周囲が墓地となった古墳も多いし、まぁそういうことにしておこう
綜覧では、発掘の有無に触れてないくせに刀が出土と記載されている



北甘楽郡岩平村第1号八幡塚古墳
現在の多野郡吉井町岩崎地区にある円墳で、西吉井駅の北北東約1.4kmに位置し、綜覧では大きさ120尺(約36m)、高さ18尺(約5.4m)とある
見る限りかなり存在感のある墳丘だが、近くにあったはずの5号(綜覧では1号の陪塚とされている)などは削平されたらしく、岩平村の古墳はこれしか残っていないようだ



綜覧では「石槨存ス」とあるが、草に埋もれたのかそれとも土が覆い被さったのか、石室材すら見つからなかった
周囲は新興住宅地化が進んでおり、この古墳もいつまで残るか・・・
ここの北側には東吹上遺跡があり、古墳時代後期の住居跡や土器が出土しており、関連性も考えられそうだ
(東吹上遺跡自体は縄文・弥生・古墳・平安期の複合遺跡)



2008年5月10日(土)23:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 甘楽郡甘楽町・多野郡吉井町 | 管理

福島町第53号稲荷社古墳

上信電鉄上州福島駅の北東約300m、西濃運輸の営業所の向かいにある古墳・・・の石室部分
封土は完全に失われており、言うなれば奈良の石舞台古墳と同じ状態である



上毛古墳綜覧でも墳形・規模ともに不詳と記載されており、昭和10年の時点でもうこういう状態だったのかとも思ったが、その割には石室のことについては何も触れておらず、また埴輪土偶が出土したという謎の記述がある


本来、埴輪と土偶は別のものであり、弥生期には土偶と言えるものは作られなくなっているため、埴輪と土偶は直接的には時代がつながらない
つまり、土をこねて焼く人形(ひとがた)というものは、弥生期に一旦隔絶しているので、この記述がどういったものなのか気にかかる



石室内部
古タイヤやらダルマやら、写ってないけどプラ製大カゴやら、すっかり物置か何かと化している
被葬者がこれを見たら何と思うことやら・・・



2008年5月10日(土)22:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 甘楽郡甘楽町 | 管理


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