軍配山古墳その1 |
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| 上毛古墳綜覧佐波郡玉村町第1号軍配山古墳 ちょうど1年前の今日、古墳訪問を始めたときのファーストショットがこれ ここの古墳自体は高校のとき、地元玉村町に住む同級生に案内してもらったことがあり、まったく知らない古墳ではなかった
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| ここから少し西に行った県道40号藤岡大胡線にも案内板があり、所在自体は高校当時から知っていたと言える この県道を通ったとき、軽い気持ちでついでに立ち寄ったのがすべての始まり それから1年、群馬県内だけで200以上の古墳を訪れ、その写真を撮ってきた
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| その後もやはり何度か見に行ったりしており、馴染みのある古墳の一基でもある
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2008年4月27日(日)22:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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M24チャーフィー |
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| 新町駐屯地の展示車 主要諸元は併設の説明看板で(ry
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| このM24は展示数が少なく、調べてみたところ新町(群馬)、土浦(茨城)、練馬(東京)、大和(宮城)、新発田(新潟)、富士(静岡)、玖珠(大分)の各駐屯地でしか見られないようだ 確認が取れていないのがもう1台、同じ群馬の吉井分屯地にも展示されているらしい
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| 展示車が圧倒的に東日本に偏っているのは、何か理由でもあるのだろうか ところで、唯一本州以外の展示車が九州の玖珠駐屯地にあるのだが、ここの展示車は、現行の二色迷彩が塗られているとのことで、画像も見つけたがぜひこの目で見てみたいものだ
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| それにしても、74式に比べると、61式以上にこぢんまりとしたたたずまいを見せている 「軽戦車」なのだから、それも当然といえば当然か
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| イタレリのキットを手にとってちょこっと見比べてみたが、防盾や転輪をはじめだいぶ印象が違う 兵器とはいえ、マスプロモデルなのだからそんなに形状に差は出ないはずなのだが・・・イタリア人の感覚だとそうなるのだろうか?
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2008年4月26日(土)22:25 | トラックバック(0) | コメント(2) | 自衛さん | 管理
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総社二子山古墳その2 |
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| さて、この古墳の特徴は、前方部と後円部それぞれに横穴式石室があるということ この2つの石室は同時に作られたものではなく、わずかに時代差がある
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| 墳丘上部より、前方部石室入口周辺を見下ろす 草に埋もれて見づらいが、わずかに前庭部が見受けられる
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| 前方部石室入口 4年ちょっと前に、崩落の危険があるということで立ち入り禁止となってしまい、現在は中を見ることが出来なくなったのは残念な話である こちらの石室は6世紀末のもので、自然石乱石積 玄室に胴張りが見られるらしい
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| 墳丘上部より後円部石室部分を見下ろす 金網のかかっている部分は石室入口ではなく、天井石の崩落した箇所である
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| 後円部石室入口 こちらはだいぶ以前に天井石が崩落しており、その頃から見学不能となったため、この通り厳重に柵が巡ってしまっている 石室は6世紀後半のもの、角閃石安山岩の削石積(一部資料に乱石小口積との記載あり)で一部に切組も見られるとのこと こちら側は胴張りのない玄室らしい
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2008年4月25日(金)22:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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総社二子山古墳その1 |
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| 上越線群馬総社駅から南に2つ目の踏切、その名も二子山踏切 この踏切の東側にある、木々の生い茂った場所が総社二子山古墳である
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| 墳丘北西部、前方部の端から墳丘を見る 周囲は宅地化が進み、墳丘全体をゆったりと見られる場所はなくなってしまった 石柱には「史跡」とあるが、市指定史跡でも県指定史跡でもなく国指定史跡なのである
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| ま、詳しいことはこの石碑で熟知いただいて、と 写真に撮ると、写り込みが激しくて見づらいのはしかたないか おいらと愛用のバイクもしっかり写り込んでいるしね
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| さて、前方部から墳丘上部に上がるとすぐに目に入るのがこれ 豊城入彦命は崇神天皇の第一皇子で、ヤマトタケル伝説のモデルともされる人物なのだが、後に上毛野氏の祖先ともなり、その陵墓がこの古墳であるという伝説がある ・・・とはいえ、最近の研究では、年代的にその陵墓はここではない可能性が高いとのことだ
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| 前方部より後円部を見る 新緑が目に鮮やかで心地いい場所だ
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2008年4月25日(金)22:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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南下古墳群A号墳改訂版 |
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| 先日、南下古墳群の撮り直しをしてきたので貼ってみる
しかしこの説明看板のデータを見ていると、甲府市万寿森古墳と規模がほとんど違わないはずなのに、石室内部の数値が全然違うことに気付く まぁあちらは6世紀中頃で自然石乱石積、こちらは7世紀後半で角閃石安山岩截石切組積という違いもあるんだけどね
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| この墳丘を見るたびに、毎回たこ焼きが食べたくなるのはなぜだろうw
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| 石室入口
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| 石室内、玄室より羨道部を見る
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| 玄室奥壁
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2008年4月24日(木)21:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 北群馬郡吉岡町 | 管理
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61式砲塔内部 |
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| 見学のしかた
まずはハッチを開けます ハッチ裏には現役当時の迷彩が残っていることを確認します
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| 砲塔内部が白いのは万国共通です ただし、危険なので許可が取れた時以外は、中に入り込まないようしましょう
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| もし入れる機会があったときは、主砲の尾部に頭をぶつけないように注意しましょう また、足下が安全であるかどうかにも注意しましょう
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| 砲弾ラックの端に、衣服を引っかけてしまうことのないようにしましょう
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| 一部のメーターが異常な数値を示していても驚いてはいけません なぜならこの61式は、防衛機密上重要な部品はすべて外された、ただの展示車なのですから
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2008年4月23日(水)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自衛さん | 管理
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万寿森古墳 |
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| 友人トミイエ(ko.i.tsu)氏から、古墳の画像を頂いたので、貼ってみる
万寿森古墳 山梨県甲府市にある円墳で、6世紀中頃の築造とされている
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| 墳丘全体の様子 木々が何本も生い茂っているあたり、よくある古墳といった感じもするがよく見ると周囲の住宅が割と新しく、新興住宅街に取り残された古墳、といった趣もある
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| ぐるっと向こう側に回ってみる こちら側からは住宅街が見えず、どこかの山中の開けた場所といった感じ
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| さらに回っていくと、石室入口が見えてくる 墳丘上部には何やら煙突状の構造物も見えるが・・・
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| 石室入口・・・には扉が設けられ、施錠されていて見られないようだ 石室自体は南向、自然石乱石積の両袖型横穴式石室とのことだが、数字を見ると群馬のものより高さがある構造のようだ
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2008年4月22日(火)21:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山梨県 | 管理
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上庄司原1号墳 |
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| 少々、貼る順序が前後してしまったが、これが横室古墳公園である 入口から見える緑の小山が上庄司原1号墳、綜覧でいう勢多郡富士見村第8号で、2号墳石室と4号墳石室は入ってすぐ左手にある 背後の木々が生い茂る山は十二山といい、この山の北西の麓に初室古墳(綜覧第7号)があったはずなのだが、村教委の話によるとどうやら削平されたらしい
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| 上庄司原1号墳とその説明看板 以前訪れたときは、このように草ぼうぼうだったのだが・・・
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| 今回訪れたときは、これこのとおり 前庭部もはっきり分かる
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| ちなみに雪の日はこんな感じ 墳丘の段になった場所には雪が積もらず、かたちがよく分かる
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| 石室内部 輝石安山岩の自然石乱石積で、中央上に見えるのが楣石(まぐさいし) 石室全長は右壁が6.62m、左壁が6.5m 奥の玄室は奥幅が2.12m、中幅が2.22mとごくわずかに胴張り型
撮り終えて顔を上げたらすぐ横に小さなトカゲがいてびっくりしたのは内緒だw
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2008年4月22日(火)19:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理
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上庄司原補遺 |
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| 先日書いた、上庄司原の古墳群について、疑問点があったので富士見村教委に確認しに出向いた結果、2号墳は綜覧第9号と判明した そうなると、大正7年に発掘されていたことになる・・・その割によく遺物が残っていたものだと思う ついでに石室も撮り直してきたが、きれいな削り石だ
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| その2号墳石室と、覆い屋根のかかった4号墳石室 4号墳は綜覧第11号と判明、こちらは大正14年に発掘されている この綜覧第11号、「石槨アリシモ今ハ亡」と記載されているのだが、こうして残っている石室を見ていると、どういう状態をいうのか当時の人に話を聞きたくなる
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| その4号墳のかつての所在地の現況 この農地を見ていると、ここに古墳があったことすら分からない そして右側のあたりには方形周溝墓が眠っているはずである
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2008年4月22日(火)19:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理
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74式細部写真 |
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| ちょいと古墳は休憩 というのも、上庄司原の古墳でちょっと確定できていないことがあるからなんだけど そんなわけで去年撮った74式の細部写真を貼ってみる 現用戦車ではあるけれど、案外に大戦期の戦車模型の参考にもなるのがこれ だらーんと垂れた履帯のガイド部分は、けっこうスレハゲがある
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| 当然、起動輪の噛み合い部分もスレハゲが出る つまり模型でやるなら起動輪はこう塗れってことだね
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| 車体下部もこれまたスレハゲだらけ 鋼鉄の地肌がモロに出ちゃうわけだから、ちょっと錆びが心配になってきたりする
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| タミヤのキットではメタリックグレーに塗れと指示されている予備履帯 実際目にした感想を言えば、全然違うね これは、セミグロスブラックで塗るべきだ 乗員たちはここに普通に足をかけたりするようで、足跡がくっきり付いているのが面白い
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| 最近は主砲基部にこんなカバーも付くようになった しかし、キットにはこのパーツは入っていない・・・ようするに自分で何とかしろってことである 防盾の防水カバーのシワとか車載機銃の角のスレかたとか紛失防止のヒモとか、なかなか参考になる
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2008年4月21日(月)19:43 | トラックバック(0) | コメント(2) | 自衛さん | 管理
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