厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 


新しい順に表示

群馬郡上郊村第9号古墳

群馬郡上郊村第9号古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市中里町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ78尺(約23.6m)、高さ12尺(約3.6m)とある



現在、大塚山古墳と呼ばれており、この名前だけを頼りに綜覧を見ていると、綜覧上郊村第25号古墳が「大塚山」と書かれており、これのことかと混同しそうになるが、地番を見ていけば間違いなく本古墳がそれである


石室入口
養豚場跡の背後にあり、藪もまたすごいことになっており、覗くのは危険
群馬郡群馬町教育委員会が発行した「群馬町の文化財」には石室内部の写真も載っているが、現状の長さ5.8m、玄室部の長さ4.2m、同じく幅2.9mと「群馬町の石室の中では最大の規模」とのことである



北より見る
すぐ横に、緑に覆われた盛り土があり、一瞬これも古墳かと思ってしまいそうだ
近くで農作業をしていた方に伺ったところ「それは古墳じゃないよ」とのこと



北西より
また、かつてはこの切り通し状の道はなく、その右の小高い盛り上がりまで墳丘が続いていたとのこと
ということは、古墳の裾部を分断したということになるのだが、その方は別に本古墳の所有者でもないので、文句を言うわけにもいかなかった



2008年7月16日(水)21:51 | トラックバック(0) | コメント(2) | 高崎市 | 管理

上野国分寺跡その4

復元された版築の塀
ところどころで崩れてきてしまっているが、本物と同じ工法なので仕方ないと言えるのかも知れない



北側から見る、復元された金堂の基壇


この通り、北側からも行くことができるが、ここは正式な駐車場ではないようだ


この北側には、説明看板が立っている


綜覧群馬郡総社町第10号愛宕山古墳が円墳扱いされているなぁ・・・とか思いつつ、やはり高崎市庚申古墳群や高崎市寝保窪古墳群の分布に目が行ってしまう


2008年7月15日(火)21:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市・高崎市 | 管理

上野国分寺跡その3

資料館内の七重塔復元模型
目の前で見ると実に壮観である



その七重塔をはじめとする国分寺の建物群はこのように並んでいたらしい
外に見えるのは、復元された版築の塀



東側


西側


2008年7月14日(月)21:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市・高崎市 | 管理

上野国分寺跡その2

資料館の脇から見る、橋建設予定地の築堤
写真には写っていないが、東山道に出る参道の跡が現存していたりする



資料館の中には、当然ながら発掘された瓦などが展示されている


さらに目玉なのは、それらに触ることもできるということ
瓦に付いた模様を指でなぞれるので、言い換えれば歴史と直にふれあえるということでもある



発掘の様子もパネルで展示されている


そして復元の様子も・・・


2008年7月13日(日)22:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市・高崎市 | 管理

上野国分寺跡その1

まずは駐車場にクルマを停める
未舗装なのでバイクで行くとコケる危険があるのでちういw



あとは看板を見ればたどり着ける


ここから真っ正面に橋を架ける計画はあるものの、予算的にどうなのだろう
そろそろ工事始まるかな?



とりあえず西側にある別の橋を渡って迂回して、と


おや、何か見えてきたぞ・・・?


2008年7月12日(土)21:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市・高崎市 | 管理

高崎市オトウカ山古墳・群馬郡堤ヶ岡村第5号薬師塚古墳

高崎市オトウカ山古墳
高崎市小八木町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



北より見る
すぐ東を縦断する県道25号線からもよく見える
本古墳の規模であるが、高崎市史では径30m、高さ3.5mとある。埴輪も出土しており、また横穴式石室を有しているらしい



群馬郡堤ヶ岡村第5号薬師塚古墳
現在の高崎市菅谷町にある円墳で、綜覧では東西231尺(約69.9m)、南北115尺(約34.8m)、高さ33尺(約9.9m)とある



しかしこの綜覧記載の数字、高さは明らかに誤記であり、現状は2m前後といった感じ。また、現状として南北の長さに対し東西の長さが2倍もあるためか、前方後円墳にも見える
本古墳は高崎市オトウカ山古墳の北約900mの位置にあり、別名「石塚古墳」とも呼ばれている
すぐ南西には「石塚古墳南」という交差点があり、本古墳も県道からの見通しは良い
本古墳の北から上野国分寺跡の手前にかけて、戦時中は陸軍前橋飛行場が所在していた



墳丘上にある薬師様の説明看板
古墳であることには全く触れていない



2008年7月11日(金)21:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市浜尻町稲荷塚891所在古墳・高崎市浜尻町村東609所在古墳

高崎市浜尻町稲荷塚891所在古墳
高崎市浜尻町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



地名から見るに、本古墳はかつて「稲荷塚」と呼ばれていたのだろうか
浜尻天王山古墳からJR上越線を越えてすぐ北東にあり、何らかの関係がありそうな気もする
本古墳は現在、墳丘は大幅に改変されたうえ、墓地となってしまっているが、埴輪が出土している



墳丘のすぐ裏は線路。もしかしたら、線路の敷設工事の時に一部削平されていたりするのかも知れない


高崎市浜尻町村東609所在古墳
高崎市浜尻町にある円墳で、綜覧記載漏れ



真福寺の敷地内にあるが、木が生い茂っていて全体を見渡すことは困難
墳頂部にはお堂が建っているが、こちら側の裾部はお墓だらけで、けっこう撮りづらい



2008年7月10日(木)21:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市中尾町所之免506所在古墳

高崎市中尾町所之免506所在古墳
高崎市中尾町にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



高崎市史によればこの稲荷神社の載っかった部分が古墳であるとのことだが、比高はあまりないようだ
埴輪小片が隣の土地から出ているとのことだが、どっちの方向に隣なのやら



訪問時、すぐ近くで住宅の建設工事をやっていて、トラックに邪魔されてあまりよく見渡すことができなかった


それにしてもずいぶんと墳丘を削平されたものだ
そこらの団地の中の空き地にひっそり佇む神社、という感じでもある



2008年7月9日(水)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡総社町第5号稲荷山古墳

群馬郡総社町第5号稲荷山古墳
現在の前橋市問屋町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ51尺(約15.4m)、高さ8尺(約2.4m)とある



近年、あちこちに改修がなされたらしく、古墳の面影はあまり感じられないうえに、説明看板でも古墳については全く触れていない
群馬県遺跡台帳では「水田中にある。墳丘はほとんど平坦化され、その中央部のみが、径10数m、高さ2m程残っている」とあり、綜覧記載の規模とあまり変わらないように思える
もちろん水田は今ではまったくなくなってしまったが、この書き方だと昔はもっと大きい古墳だったように受け取れる



あれこれ見て回ったが、「古墳」として書かれているのはこの石碑だけだった
この稲荷社、丁間稲荷と呼ばれているのだが、総社町史ではなぜか町見稲荷と記載されていた



おそらく、ここが古墳であるということよりも、墳丘上に移設された笠塔婆のほうが遥かに知名度がありそうな感じ
ちなみにこの傘塔婆、前橋市指定文化財だったりする



2008年7月8日(火)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第14号大神宮様古墳

群馬郡総社町第14号大神宮様古墳
現在の前橋市桜が丘にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ110尺(約33.3m)、高さ16尺(約4.8m)とある



群馬県文化財情報システムでは、プロットされた位置が非常にずれており、本当にここでいいのか不安になったが、総社資料館で聞いたところ「総社の植野で大神宮と言ったらここしかない」とのこと
群馬県遺跡台帳では、残っている盛り土の「南面するその中腹には、石室の石材らしきものがみられる」ということであるが、こんな現状ではどうしようもない



本古墳の南側にある墓地(道は直接繋がっていない)
どうもこれは怪しいな・・・と思って、これまた総社資料館で聞いたら「これは古墳だと聞いている」とのことであった



遺跡台帳の本古墳の項には「付近には4カ所古墳の跡がある」と記されており、これがそのうちの1基と思われる
本古墳と綜覧群馬郡総社町第15号薬師塚古墳はすぐそばなので、「薬師塚古墳東30m」、「北300m」の2基もこれに含まれるものと仮定して計3基
残りの1基はどこにあったのだろうか



2008年7月7日(月)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理


(82/95ページ)
最初 78 79 80 81 >82< 83 84 85 86 87 最後