厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 


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群馬郡車郷村第54号太子塚古墳出土埴輪

今年も行ってきた、「発掘された日本列島」展
今年はぜひ見たいものがあった



群馬郡車郷村第54号太子塚古墳
群馬郡箕郷町を経て、現在の高崎市箕郷町和田山にある(あった?)帆立貝形墳で、上毛古墳綜覧では全長30尺(約9.1m)、高さ7尺(約2.1m)とある
綜覧では円墳とされ、曲玉、管玉、刀が出土、「朱ノ石槨用巨石有」と記載されている



まぁ、現状大部分が道路になったとかで、ごくわずかにしか痕跡が残っていないようだが、本古墳から出土した埴輪が、今年の「発掘された日本列島」展に展示されているので、見に行ってきた


「フラッシュ使わなければ撮影可」ということなので、頑張って撮ってきた
場所柄、高崎市保渡田町の古墳群の埴輪と共通しているところが多いらしい



ちょいとアップめに撮ってみた
こうして見ると、盾持ち人埴輪もけっこうバリエーションがあるんだなぁと気付かされる



2008年8月2日(土)23:08 | トラックバック(0) | 高崎市 | 管理

渋川市金井古墳その2

前庭部は広い印象がある
封土と天井石がないせいだろうか



羨門部の石
閉塞石の一部だろうか?



玄門部
楣石も残っているが、開口部は非常に狭い



玄室部を奥壁側から見下ろす
天井石がないので、この辺の構造がよく理解できる



玄室部の側壁と奥壁
周囲はコンクリで固められている



2008年8月1日(金)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市金井古墳その1

渋川市の金島小学校の南からぐねぐねと曲がる山道に入り、十字路に行き当たったら西へ曲がって100m


右手に見えるこの細い坂道を登ったところにあるのが・・・


渋川市金井古墳
渋川市金井にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
昭和31年に群馬大学の尾崎教授によって発掘調査されている



説明看板
追記された跡がはっきりと分かるが、これは見る人によってはいたずら書きされたようにも受け取れるのではないだろうか



さて、あらためて古墳の正面に立ってみる


2008年8月1日(金)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市中ノ峯古墳その2

何となくだが、墳丘の裾部自体はもう少し下の方に掘り下げられそうな気がするのはおいらだけだろうか・・・


石室入口


石室内部


2008年7月31日(木)21:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市中ノ峯古墳その1

渋川市中ノ峯古墳
北群馬郡子持村を経て、現在の渋川市北牧にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



説明看板には、被葬者の数を修正した跡がある


説明看板とは別に石碑も建っている


こちらからみると、軽石層に埋まっていたというのがよく分かる


2008年7月31日(木)21:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市黒井峯遺跡

渋川市黒井峯遺跡
北群馬郡子持村を経て、現在の渋川市中郷にある遺跡
まずは説明看板を読んでいただいて・・・



長いので、右側も・・・


少し離れた場所にある別の説明看板
とても読みづらい・・・



遺跡自体は埋め戻されて保存されている
しかし、それだけだとただ単に広い空間にしかならないので、資料館なり復元施設なり建ててもらいたいところだ



訪問時は天気もよくなく、二ッ岳は見えなかった・・・


2008年7月30日(水)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

群馬郡長尾村第14号大塚古墳

群馬郡長尾村第14号大塚古墳
北群馬郡長尾村、北群馬郡子持村を経て、現在の渋川市吹屋にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ72尺(約21.8m)、高さ18尺(約5.5m)とある



墳丘上は稲荷社となっており、そこへ至る階段の脇には石碑が建っている
綜覧では円墳と記載されているが、現状は方墳状になっているためか、この石碑では方墳と書かれている
また、この石碑にはしっかりと「古墳」と書かれているのだが、渋川市教育委員会で伺った話では、どうも古墳ではなく塚である可能性があるといった見方が出ているとのこと
実際に発掘調査をしたわけではないので確定はできないとも聞いた



まぁ、そう言われてみれば確かに規模が大きいような気もしてくる
本古墳の築造年代がいつ頃と想定されているのかどうかは分からないが、6世紀には榛名二ッ岳が噴火しており、それ以降の築造ではあると思われる



この旧子持村周辺はその二ッ岳爆裂の際の降下物が非常に厚く堆積しており、黒井峯遺跡や中ノ峯古墳などの存在がよく知られているところでもある


それらを踏まえて考えても、6世紀の半ば以降にこの地域に有力な豪族がいた形跡はあまり伝えられていないようなので、やはりこれは塚なのだろうか・・・


2008年7月29日(火)21:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

群馬郡渋川町第1号虚空蔵塚古墳

群馬郡渋川町第1号虚空蔵塚古墳
北群馬郡渋川町を経て、現在の渋川市渋川にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ60尺(約18.2m)、高さ12尺(約3.6m)とある



説明看板には、石室の実測図も併記されている


石室入口
ここでも、前庭部に庚申塔が建っている



石室内部
虚空地蔵尊が鎮座している
平成の大合併前の渋川市内に於いて、石室があり封土もちゃんと残っている古墳は、これしかない



2008年7月28日(月)21:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

群馬郡豊秋村第1号十二山古墳

群馬郡豊秋村第1号十二山古墳
北群馬郡豊秋村を経て、現在の渋川市中村にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西66尺(約19.9m)、南北33尺(約9.9m)、高さ10尺(約3m)とある



墳丘上には大谷神社が鎮座し、墳丘もだいぶ改変されているが、綜覧記載の数字を見る限り、高さがいくらか下がったほかは、昭和10年当時と規模があまり変わっていないようである


石垣の積まれ方を見ても、そこらにある小さな神社といった趣で、古墳としての面影はあまり感じられない
すぐ南を東西に走る県道35号線は結構知っている道だったりするので、「え、そこに古墳があったの?」といった気分でもある



とはいえ、歩道の向こうに、木々に隠れるようにして存在するので、言われなければ気付かないレベルでもあったりする・・・


2008年7月27日(日)18:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

北群馬郡吉岡町大林2号古墳・群馬郡駒寄村第51号十石塚古墳

北群馬郡吉岡町大林2号古墳
北群馬郡吉岡町南下にある古墳で、上毛古墳綜覧番号不明



北群馬郡吉岡町南下古墳群のすぐ北にある北群馬郡吉岡町教育委員会文化財課からもよく見える古墳で、二段構築の円墳と思われるが、詳しくは不明
綜覧番号も不明であるが、群馬郡明治村第32号~第53号古墳のいずれかと推測される
東側はスポーツ施設となり、いくらか墳丘が削り取られているようだ
本古墳の北には中学校があるのだが、吉岡町教育委員会で伺った話では、昭和44年の建設の際、中学校の敷地内にあった古墳が3基ほどつぶされているとのこと



群馬郡駒寄村第51号十石塚古墳
北群馬郡吉岡村を経て、現在の北群馬郡吉岡町大久保にある円墳で、綜覧では東西の大きさ36尺(約10.9m)、南北の大きさ60尺(約18.2m)、高さ20尺(約6.1m)とある



・・・が、昭和24年に群馬大学の尾崎教授が調査したところ、これは古墳ではないと判断している
規模の割に比高があるとかいった話はさておき、標柱にも「古墳」とは書かれておらず、吉岡町教育委員会でも「よく分からない」とグレー扱いしている
この周辺の地名「大久保」の由来となった大窪太郎の墓とも言われているが、実際に大窪太郎が眠っているのかどうかについても「伝承ではそうなっているが・・・」と、これまたグレーな話であった



2008年7月26日(土)21:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 北群馬郡吉岡町 | 管理


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