| 群馬郡岩鼻村第22号観音山古墳その3 |
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石室内部 羨道部と玄室部で石の積み方が違うのは、藤岡市諏訪古墳(上毛古墳綜覧多野郡藤岡町第3号古墳)と共通するが、石の加工がだいぶ異なる
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どちらも羨道部は河原石乱積であるが、本古墳のものは少々削石っぽく見える その辺は、勢多郡富士見村上庄司原2号古墳(綜覧勢多郡富士見村第9号古墳)のようにも見える
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奥壁が巨石ではなく角閃石安山岩の切組積というのも、勢多郡富士見村上庄司原2号古墳と似ている感じ 羨門部から奥壁までの距離が長いというのを除けば、であるが
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奥壁手前から石室入口を見る ここでは見学時に管理人さんが照明を点灯してくれるので、懐中電灯要らずで見学ができる
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側壁や奥壁の石のひとつひとつがさほど大きくないせいだろうか、天井石は実際以上にかなり巨大に感じられる 多野郡吉井町で産出する牛伏砂岩(うしぶせさがん)を6つも使用しており、一番大きいもので推定重量25トンとされている 吉井からここまでどうやって運んできたのだろうかとも考えさせられるが、それよりもこんな巨石を6つも運ばせた(もしくは巨石の塊をここで6つに切り分けた)権力と財力に注目したいところである
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2008年6月23日(月)22:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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| 群馬郡岩鼻村第22号観音山古墳その2 |
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前方部より後円部を見る 右側奥の木立は綜覧記載漏れの高崎市普賢寺裏古墳
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後円部より前方部を見る
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前方部より周堀北西端を見る その先では現在発掘作業中(綿貫伊勢遺跡・古墳時代)であるが、ちょうどこの観音山古墳の時期に重なるものがなぜか出てこず、4世紀代及び7・8世紀代のものばかりだとのこと さらにその上の土は戦国~江戸期に撹乱されており、発掘担当者の方は調査に苦労しておられた
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前方部基壇部より後円部を見る この先には、石室入口がある
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石室入口 見学の際は基本的に群馬県教育委員会に連絡を入れないと、内部を見学できない
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2008年6月23日(月)21:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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| 群馬郡岩鼻村第22号観音山古墳その1 |
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群馬郡岩鼻村第22号観音山古墳 現在の高崎市綿貫町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ318尺(約96.4m)、高さ33尺(約9.9m)とある
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現在、「綿貫観音山古墳」と呼ばれ、出土品が百済・武寧王陵や北斉・庫狄回洛墓と共通性を持つことで有名な古墳でもある
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ついでに言えば、墳丘が大きいのでファインダーに収まりきらず苦労する
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説明看板
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もちろん埴輪もお忘れなく かつては復元埴輪も並べられていたが、現在は撤去されている 発掘を担当した明治大学名誉教授の大塚初重氏が講演で語っていたが、近在の小学生が、テストの結果が悪いと叱られて腹いせに破壊したとのこと
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2008年6月23日(月)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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