総社二子山古墳その2 |
|
| さて、この古墳の特徴は、前方部と後円部それぞれに横穴式石室があるということ この2つの石室は同時に作られたものではなく、わずかに時代差がある
| |
| 墳丘上部より、前方部石室入口周辺を見下ろす 草に埋もれて見づらいが、わずかに前庭部が見受けられる
| |
| 前方部石室入口 4年ちょっと前に、崩落の危険があるということで立ち入り禁止となってしまい、現在は中を見ることが出来なくなったのは残念な話である こちらの石室は6世紀末のもので、自然石乱石積 玄室に胴張りが見られるらしい
| |
| 墳丘上部より後円部石室部分を見下ろす 金網のかかっている部分は石室入口ではなく、天井石の崩落した箇所である
| |
| 後円部石室入口 こちらはだいぶ以前に天井石が崩落しており、その頃から見学不能となったため、この通り厳重に柵が巡ってしまっている 石室は6世紀後半のもの、角閃石安山岩の削石積(一部資料に乱石小口積との記載あり)で一部に切組も見られるとのこと こちら側は胴張りのない玄室らしい
| |
|
2008年4月25日(金)22:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
|
総社二子山古墳その1 |
|
| 上越線群馬総社駅から南に2つ目の踏切、その名も二子山踏切 この踏切の東側にある、木々の生い茂った場所が総社二子山古墳である
| |
| 墳丘北西部、前方部の端から墳丘を見る 周囲は宅地化が進み、墳丘全体をゆったりと見られる場所はなくなってしまった 石柱には「史跡」とあるが、市指定史跡でも県指定史跡でもなく国指定史跡なのである
| |
| ま、詳しいことはこの石碑で熟知いただいて、と 写真に撮ると、写り込みが激しくて見づらいのはしかたないか おいらと愛用のバイクもしっかり写り込んでいるしね
| |
| さて、前方部から墳丘上部に上がるとすぐに目に入るのがこれ 豊城入彦命は崇神天皇の第一皇子で、ヤマトタケル伝説のモデルともされる人物なのだが、後に上毛野氏の祖先ともなり、その陵墓がこの古墳であるという伝説がある ・・・とはいえ、最近の研究では、年代的にその陵墓はここではない可能性が高いとのことだ
| |
| 前方部より後円部を見る 新緑が目に鮮やかで心地いい場所だ
| |
|
2008年4月25日(金)22:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
|