厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



高崎市

群馬郡岩鼻村第22号観音山古墳その1

群馬郡岩鼻村第22号観音山古墳
現在の高崎市綿貫町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ318尺(約96.4m)、高さ33尺(約9.9m)とある



現在、「綿貫観音山古墳」と呼ばれ、出土品が百済・武寧王陵や北斉・庫狄回洛墓と共通性を持つことで有名な古墳でもある


ついでに言えば、墳丘が大きいのでファインダーに収まりきらず苦労する


説明看板


もちろん埴輪もお忘れなく
かつては復元埴輪も並べられていたが、現在は撤去されている
発掘を担当した明治大学名誉教授の大塚初重氏が講演で語っていたが、近在の小学生が、テストの結果が悪いと叱られて腹いせに破壊したとのこと



2008年6月23日(月)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市本郷塚中古墳群

塚中2号古墳(奥原古墳群番号推定不能)
墳丘の高さはほとんどないが、石が転がっている
隣接する畑でお年寄りに話を聞いたら、昭和の初め頃からこんな様子だったとのこと



塚中4号古墳(推定奥原38号古墳)
塚中2号古墳から東へ道なりに行ってすぐ、民家の庭先にある
割と比高があり、塚中2号古墳の位置からもちらっと見える



塚中6号古墳(推定奥原44号古墳)
塚中4号古墳からさらに東に行った場所にある
「しどめ塚古墳」から本郷塚中(奥原)古墳群に移動すると、真っ先に目に入るはず



塚中7号古墳(推定奥原32号古墳)
塚中2号古墳の南にあり、奥原53号古墳からも西側にあるのがはっきりと見える
(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書第108集「本郷的場古墳群」によれば、上毛古墳綜覧群馬郡久留馬村第26号古墳であるとのこと
墳丘に生えていた木は数年前に伐採された模様



塚中9号古墳(推定奥原24号古墳)
塚中7号古墳からさらに南。例によって奥原53号古墳からもよく見える
いずれも本郷塚中古墳群としての番号と奥原古墳群調査報告書での奥原○号古墳としての番号とは一致しない
また、分布図では奥原53号古墳石室入口から見てすぐ西、周堀の外側にもマウンド(推定奥原29号古墳)が記載されているが、現地ではそれと分かるものは見当たらなかった
綜覧ではこの周辺の古墳が9基記載されているが、奥原53号古墳(綜覧群馬郡久留馬村第22号古墳)と塚中7号古墳(綜覧群馬郡久留馬村第26号古墳)以外はすべて不明
また、奥原古墳群としての番号は、分布図を元に照合してみただけなので、確証が持てないため「推定」とした



2008年6月14日(土)22:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡久留馬村第22号古墳

群馬郡久留馬村第22号古墳
群馬郡榛名町を経て、現在の高崎市本郷町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ172尺(約52.1m)、高さ15尺(約4.5m)とある



現在、所在の地名をとって本郷塚中53号もしくは奥原53号と呼ばれる古墳であるが、綜覧記載の大きさはちょっと大きすぎる
この辺りは本郷塚中(奥原)古墳群と呼ばれ、この群馬郡久留馬村第22号古墳(いや、ここは奥原53号古墳と呼ぶべきか?)を盟主墳として、その数65基の古墳が集中していたらしい
群馬県教育委員会発行の調査報告書では、「奥原古墳群」と題されている



石室入口
墳丘自体はかなり復元整備されているようだ



東から見る
この構図で見ると手前の稲田の辺り、ここに奥原49号があった



北から見る
こちら側は、手前には奥原61号と59号があった
これらを含め、奥原古墳群のほとんどが、群馬用水関連の圃場整備で調査後に削平されている



2008年6月13日(金)22:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡久留馬村第14号人民塚古墳

群馬郡久留馬村第14号人民塚古墳
群馬郡榛名町を経て、現在の高崎市本郷町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ66尺(約19.9m)、高さ12尺(約3.6m)とある



綜覧では古墳名の横に「(シドメ塚)」と併記されている
つまり、この人民塚古墳が「しどめ塚古墳」であるわけだが、説明看板では古墳名について何も触れていない
この「人民塚」というのはどうやら誤記のようで、他に「人民塚」という表記を見ない代わりに、まいぶん群馬HPなどで「人見塚」という表記を見かける
人見は当て字と思われ、また「しどみ」が転訛したものと思われる
「しどみ」「しどめ」とは草木瓜(くさぼけ)という植物の別名で、恐らくこれが生えていたことでこの古墳名が付いたものと思われる



石室入口
草に埋もれ、見通しがあまりきかない
このような状況で、教育委員会に連絡を入れたところで果たして実際に見学ができるのだろうか?



西側から見る
訪れたのは10月上旬で、ごらんの通り草木によって墳丘が覆い隠されてしまっている



東側もほぼ同様といったところ


2008年6月12日(木)22:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡上郊村第4号愛宕塚古墳

群馬郡上郊村第4号愛宕塚古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市保渡田町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ51尺(約15.4m)、高さ7尺(約2.1m)とある



南から見る
愛宕塚という古墳名ではあるものの、墳丘上に載っかっているのは白山神社
これが秋葉社なら、愛宕社も火伏せの神(前者は秋葉大権現、後者は火産霊命)を祀っているから分かるのだが、白山社は菊理媛神・伊弉諾尊・伊弉冉尊の三柱である



そんなわけで、愛宕塚と呼ばれる理由と白山社が勧請された理由が知りたい・・・


社殿裏に怪しいマウンドを見つけた
木の根元にあるので、墳丘ではない可能性も十分に考えられるが、ここはあえて夢を見ておきたいと思う



墳頂に生えた木、と解釈すればこれは古墳に見える・・・ような気もする


2008年6月10日(火)21:56 | トラックバック(0) | コメント(2) | 高崎市 | 管理

群馬郡中川村第1号天王山古墳

群馬郡中川村第1号天王山古墳
現在の高崎市浜尻町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ160尺(約48.4m)、前方部の高さ15尺(約4.5m)、後円部の高さ12尺(約4.2m)とある



説明看板


前方部には階段が据え付けられ、その上には諏訪神社の社殿が建っている
明治の維新前に発掘されたとのことだが、出土品についての記載はなく「石槨蓋石アリ」とだけ書かれている



後円部を見る
手前の畑のあたりには、かつて周堀があったのだろう



その周堀にあたる部分から墳丘北側を見る


2008年6月9日(月)22:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市第222号堂山古墳・高崎市第223号古墳

高崎市第222号堂山古墳
高崎市貝沢町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ92尺(約27.9m)、高さ5尺(約1.5m)とある



現在の道路地図では万日堂という名のお堂が記載されているが、見事に古墳の面影もなくコンクリで要塞化している
また綜覧では発掘歴不明としながらも、土器片出土とある



高崎市第223号古墳
高崎市貝沢町にある前方後円墳で、綜覧では大きさ359尺(約108.8m)、後円部の高さ12尺(約3.6m)



墳頂部は五霊神社となっている
高崎市第222号堂山古墳の南東200m足らずの場所に位置しており、墳丘裾部にくびれがしっかりと見られる
しかし、綜覧記載の大きさは誤記であったようで、実際に歩いてみた感じでは50mもなかった(高崎市史では約45.0mと記載されている)



後円部墳頂部より見る
この部分は神社造営時にいくらか削平されているようにも感じられるが、実際どうなのだろう
神社の説明看板もあったが、古墳のことには何も触れていなかった



2008年6月8日(日)22:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市第225号稲荷山古墳跡

高崎市第225号稲荷山古墳
高崎市貝沢町にあった円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ54尺(約16.9m)、高さ5尺(約1.5m)とある



ごらんの通り、墳丘はすでに消滅してしまい、跡地は住宅地になっている
その稲荷山古墳の墳丘上にあった稲荷社をここに改めて祀ったのがこの石宮で、「前山稲荷」と記されている
近所の方に伺ったところ、古墳自体は30年ほど前に消滅したらしい
綜覧では敷地の所有が「貝沢共有地」となっており、この稲荷社が現在も共有地となっているとのこと



土台は石を並べて敷き詰めた上からコンクリで固めてあり、稲荷山古墳出土のものである可能性は多分にある
石宮自体は建て替えられたようで、元の石宮の残骸が傍らに転がっていた。とはいえ、現在の石宮も屋根を見る限りさほど新しくはない感じがする



この稲荷社の前の道路の向かい側にはこんな石が転がっていた
大きさといいかたちといい、何となく土台の石と似ているような・・・



2008年6月7日(土)22:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市第235号黒髪山古墳

高崎市第235号黒髪山古墳
高崎市江木町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ45尺(約13.6m)、高さ5尺(約1.5m)とある



墳丘上には大きな木が生えている
訪れたのは12月の半ばをだいぶ過ぎていたが、まだ葉が残っている
ドラクエ8をやった人なら分かるだろうが、滝の洞窟近くの紅葉樹を思い出してしまった



墳丘自体は改変されていて原形をとどめていない
昭和10年当時はどうだったのか分からないが、現在は住宅や幼稚園などに囲まれ、所在なさげな感じ



墳頂部
奥にあるのは黒髪社の石碑



2008年6月6日(金)22:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡岩鼻村第28号古墳・群馬郡大類村第17号浅間山古墳

群馬郡岩鼻村第28号古墳
現在の高崎市矢中町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ20尺(約6.1m)、高さ7尺(約2.1m)とある



現在、規模はかなり縮小されているようだ
墳丘は、その上にある巨木の陰になり、春から秋にかけては葉が生い茂っているため、あまり見通しがよくない
ここの西にある細い路地を1本隔てたすぐ北東には綜覧群馬郡岩鼻村第27号稲荷塚古墳があったが、削平されて消滅している



群馬郡大類村第17号浅間山古墳
現在の高崎市柴崎町にある円墳で、綜覧では大きさ92尺(約27.9m)、高さ25尺(約7.6m)とある



「柴崎浅間山古墳」とも呼ばれるこの古墳は、上記の綜覧群馬郡岩鼻村第28号古墳と約1kmしか離れておらず、しかも県道133号元島名倉賀野線を挟んで対角線上に位置している


現在もかなりの比高があり、北側にある国道354号線からもちらっと見えるほどの大きさがある
周囲は畑や住宅地で道も狭く、車ですぐ目の前に横付けすることができないという立地
だからこそこれほどの高さが残ったと言えるのかも知れない



2008年6月5日(木)21:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理


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