厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



高崎市

群馬郡金古町第72号オ春名古墳

群馬郡金古町第72号オ春名古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市足門町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ48尺(約15.5m)、高さ13尺(約3.9m)とある




この数字は二段構築の二段目の数字のようで、まいぶん群馬のHPでは「地山を削り出した直径25メートルの低い基壇の上に、直径15メートルの円丘を乗せている」とある
周囲は宅地化が進みつつあり、やがて見えなくなりそうな気もしてくる
綜覧では「石槨(丁字型)有」と記載されているが、実際には「『逆トの字形』の変形横穴式石室」(まいぶん群馬HP)とのこと
残念ながら石室は埋め戻され、現在見ることはできない



このオ春名古墳(別名オハンナ古墳、お榛名古墳とも)の北側にあるのがこの石室材
地番から見る限り、綜覧群馬郡金古町第73号~第75号古墳のいずれかのものと思われる



綜覧記載の地番と手持ちの地図を照合する限り、「群馬町の文化財」で春名原古墳群に含められているのは、綜覧群馬郡金古町第73号~第80号古墳の8基のようだ


2008年7月17日(木)21:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡上郊村第9号古墳

群馬郡上郊村第9号古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市中里町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ78尺(約23.6m)、高さ12尺(約3.6m)とある



現在、大塚山古墳と呼ばれており、この名前だけを頼りに綜覧を見ていると、綜覧上郊村第25号古墳が「大塚山」と書かれており、これのことかと混同しそうになるが、地番を見ていけば間違いなく本古墳がそれである


石室入口
養豚場跡の背後にあり、藪もまたすごいことになっており、覗くのは危険
群馬郡群馬町教育委員会が発行した「群馬町の文化財」には石室内部の写真も載っているが、現状の長さ5.8m、玄室部の長さ4.2m、同じく幅2.9mと「群馬町の石室の中では最大の規模」とのことである



北より見る
すぐ横に、緑に覆われた盛り土があり、一瞬これも古墳かと思ってしまいそうだ
近くで農作業をしていた方に伺ったところ「それは古墳じゃないよ」とのこと



北西より
また、かつてはこの切り通し状の道はなく、その右の小高い盛り上がりまで墳丘が続いていたとのこと
ということは、古墳の裾部を分断したということになるのだが、その方は別に本古墳の所有者でもないので、文句を言うわけにもいかなかった



2008年7月16日(水)21:51 | トラックバック(0) | コメント(2) | 高崎市 | 管理

高崎市オトウカ山古墳・群馬郡堤ヶ岡村第5号薬師塚古墳

高崎市オトウカ山古墳
高崎市小八木町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



北より見る
すぐ東を縦断する県道25号線からもよく見える
本古墳の規模であるが、高崎市史では径30m、高さ3.5mとある。埴輪も出土しており、また横穴式石室を有しているらしい



群馬郡堤ヶ岡村第5号薬師塚古墳
現在の高崎市菅谷町にある円墳で、綜覧では東西231尺(約69.9m)、南北115尺(約34.8m)、高さ33尺(約9.9m)とある



しかしこの綜覧記載の数字、高さは明らかに誤記であり、現状は2m前後といった感じ。また、現状として南北の長さに対し東西の長さが2倍もあるためか、前方後円墳にも見える
本古墳は高崎市オトウカ山古墳の北約900mの位置にあり、別名「石塚古墳」とも呼ばれている
すぐ南西には「石塚古墳南」という交差点があり、本古墳も県道からの見通しは良い
本古墳の北から上野国分寺跡の手前にかけて、戦時中は陸軍前橋飛行場が所在していた



墳丘上にある薬師様の説明看板
古墳であることには全く触れていない



2008年7月11日(金)21:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市浜尻町稲荷塚891所在古墳・高崎市浜尻町村東609所在古墳

高崎市浜尻町稲荷塚891所在古墳
高崎市浜尻町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



地名から見るに、本古墳はかつて「稲荷塚」と呼ばれていたのだろうか
浜尻天王山古墳からJR上越線を越えてすぐ北東にあり、何らかの関係がありそうな気もする
本古墳は現在、墳丘は大幅に改変されたうえ、墓地となってしまっているが、埴輪が出土している



墳丘のすぐ裏は線路。もしかしたら、線路の敷設工事の時に一部削平されていたりするのかも知れない


高崎市浜尻町村東609所在古墳
高崎市浜尻町にある円墳で、綜覧記載漏れ



真福寺の敷地内にあるが、木が生い茂っていて全体を見渡すことは困難
墳頂部にはお堂が建っているが、こちら側の裾部はお墓だらけで、けっこう撮りづらい



2008年7月10日(木)21:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市中尾町所之免506所在古墳

高崎市中尾町所之免506所在古墳
高崎市中尾町にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



高崎市史によればこの稲荷神社の載っかった部分が古墳であるとのことだが、比高はあまりないようだ
埴輪小片が隣の土地から出ているとのことだが、どっちの方向に隣なのやら



訪問時、すぐ近くで住宅の建設工事をやっていて、トラックに邪魔されてあまりよく見渡すことができなかった


それにしてもずいぶんと墳丘を削平されたものだ
そこらの団地の中の空き地にひっそり佇む神社、という感じでもある



2008年7月9日(水)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡岩鼻村第19号古墳・高崎市綿貫町市ヶ原1117所在古墳

群馬郡岩鼻村第19号古墳
現在の高崎市綿貫町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ66尺(約19.9m)、高さ8尺(約2.4m)とある



昭和10年当時は国有地で、地目が小社地となっているが、現在では個人所有の畑となっているようだ
平成10年に刊行された綿貫観音山の発掘調査報告書内には「普賢寺東古墳」という円墳が「径約30m川原石積み壁面赤色塗彩石室」と紹介されているのだが、これは本古墳のことなのか、それとも道路の向かいの墓地(高崎市綿貫町堀米内1552所在古墳)のことなのか、はっきりしない



高崎市綿貫町市ヶ原1117所在古墳
高崎市綿貫町にある円墳で、綜覧記載漏れ



綜覧記載漏れなのは、当時このあたりが陸軍岩鼻火薬製造所の敷地内にあり、防諜上の観点から調査ができなかったためである
本古墳は群馬県立歴史博物館の入口前の芝生内にあるが、先述の綿貫観音山古墳発掘調査報告書によれば、「(綿貫古墳群の円墳群は)『群馬の森』の正面ゲート付近から芝生広場付近で、約30基前後が存在したと推定される」とある



この古墳のものと推定される調査図が県立歴史博物館に収蔵されており、それによれば角閃石安山岩加工材使用の横穴式石室を有しており、また後期古墳に通有の直刀・鉄鏃が出土しているらしい


2008年6月26日(木)20:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市普賢寺裏古墳・高崎市綿貫町堀米内1547所在古墳

高崎市普賢寺裏古墳
高崎市綿貫町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



綿貫観音山古墳(綜覧群馬郡岩鼻村第22号古墳)から綜覧群馬郡岩鼻村第15号不動山古墳へ至る道より
この周囲には小規模の円墳が何基か集まっている



綜覧群馬郡岩鼻村第15号不動山古墳の裏手から、普賢寺の墓地越しに見る
それにしてもこれほどの規模がありながら、なぜ綜覧に記載されなかったのか・・・



高崎市綿貫町堀米内1547所在古墳
高崎市にある円墳で、これも綜覧記載漏れ



東より
同じく道路上から撮ったものだが、こちらから見るといかにも民家裏の古墳といった感じ
古墳名は高崎市史に拠るものだが、位置的に見て綿貫観音山古墳の陪塚とも思える
さて、実際のところはどうなのだろうか



2008年6月25日(水)21:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡岩鼻村第15号不動山古墳

群馬郡岩鼻村第15号不動山古墳
現在の高崎市綿貫町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ306尺(約92.7m)、高さ35尺(約10.6m)とある



現在、不動尊が後円部の墳頂に建っている


北より見る
前方部はだいぶ削平されてしまっているが、造り出しもあるのがわずかに分かる



説明看板
さすがに大きさは違うものの、東国最大の前方後円墳である太田市天神山古墳(綜覧新田郡九合村第69号男体山古墳)などと同形のプランであるのが注目される



墳頂部には、舟形石棺が安置されているが、蓋部は行方不明である
主体部は竪穴式と推定されており、横穴式の綿貫観音山古墳(綜覧群馬郡岩鼻村第22号観音山古墳)には石棺がなく棺座であることから、直接的なつながりはないのかも知れない



2008年6月24日(火)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡岩鼻村第22号観音山古墳その3

石室内部
羨道部と玄室部で石の積み方が違うのは、藤岡市諏訪古墳(上毛古墳綜覧多野郡藤岡町第3号古墳)と共通するが、石の加工がだいぶ異なる



どちらも羨道部は河原石乱積であるが、本古墳のものは少々削石っぽく見える
その辺は、勢多郡富士見村上庄司原2号古墳(綜覧勢多郡富士見村第9号古墳)のようにも見える



奥壁が巨石ではなく角閃石安山岩の切組積というのも、勢多郡富士見村上庄司原2号古墳と似ている感じ
羨門部から奥壁までの距離が長いというのを除けば、であるが



奥壁手前から石室入口を見る
ここでは見学時に管理人さんが照明を点灯してくれるので、懐中電灯要らずで見学ができる



側壁や奥壁の石のひとつひとつがさほど大きくないせいだろうか、天井石は実際以上にかなり巨大に感じられる
多野郡吉井町で産出する牛伏砂岩(うしぶせさがん)を6つも使用しており、一番大きいもので推定重量25トンとされている
吉井からここまでどうやって運んできたのだろうかとも考えさせられるが、それよりもこんな巨石を6つも運ばせた(もしくは巨石の塊をここで6つに切り分けた)権力と財力に注目したいところである



2008年6月23日(月)22:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡岩鼻村第22号観音山古墳その2

前方部より後円部を見る
右側奥の木立は綜覧記載漏れの高崎市普賢寺裏古墳



後円部より前方部を見る


前方部より周堀北西端を見る
その先では現在発掘作業中(綿貫伊勢遺跡・古墳時代)であるが、ちょうどこの観音山古墳の時期に重なるものがなぜか出てこず、4世紀代及び7・8世紀代のものばかりだとのこと
さらにその上の土は戦国~江戸期に撹乱されており、発掘担当者の方は調査に苦労しておられた



前方部基壇部より後円部を見る
この先には、石室入口がある



石室入口
見学の際は基本的に群馬県教育委員会に連絡を入れないと、内部を見学できない



2008年6月23日(月)21:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理


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