厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2008年4月を表示

南下古墳群A号墳改訂版

先日、南下古墳群の撮り直しをしてきたので貼ってみる

しかしこの説明看板のデータを見ていると、甲府市万寿森古墳と規模がほとんど違わないはずなのに、石室内部の数値が全然違うことに気付く
まぁあちらは6世紀中頃で自然石乱石積、こちらは7世紀後半で角閃石安山岩截石切組積という違いもあるんだけどね



この墳丘を見るたびに、毎回たこ焼きが食べたくなるのはなぜだろうw


石室入口


石室内、玄室より羨道部を見る


玄室奥壁


2008年4月24日(木)21:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 北群馬郡吉岡町 | 管理

61式砲塔内部

見学のしかた

まずはハッチを開けます
ハッチ裏には現役当時の迷彩が残っていることを確認します



砲塔内部が白いのは万国共通です
ただし、危険なので許可が取れた時以外は、中に入り込まないようしましょう



もし入れる機会があったときは、主砲の尾部に頭をぶつけないように注意しましょう
また、足下が安全であるかどうかにも注意しましょう



砲弾ラックの端に、衣服を引っかけてしまうことのないようにしましょう


一部のメーターが異常な数値を示していても驚いてはいけません
なぜならこの61式は、防衛機密上重要な部品はすべて外された、ただの展示車なのですから



2008年4月23日(水)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自衛さん | 管理

万寿森古墳

友人トミイエ(ko.i.tsu)氏から、古墳の画像を頂いたので、貼ってみる

万寿森古墳
山梨県甲府市にある円墳で、6世紀中頃の築造とされている



墳丘全体の様子
木々が何本も生い茂っているあたり、よくある古墳といった感じもするがよく見ると周囲の住宅が割と新しく、新興住宅街に取り残された古墳、といった趣もある



ぐるっと向こう側に回ってみる
こちら側からは住宅街が見えず、どこかの山中の開けた場所といった感じ



さらに回っていくと、石室入口が見えてくる
墳丘上部には何やら煙突状の構造物も見えるが・・・



石室入口・・・には扉が設けられ、施錠されていて見られないようだ
石室自体は南向、自然石乱石積の両袖型横穴式石室とのことだが、数字を見ると群馬のものより高さがある構造のようだ



2008年4月22日(火)21:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山梨県 | 管理

上庄司原1号墳

少々、貼る順序が前後してしまったが、これが横室古墳公園である
入口から見える緑の小山が上庄司原1号墳、綜覧でいう勢多郡富士見村第8号で、2号墳石室と4号墳石室は入ってすぐ左手にある
背後の木々が生い茂る山は十二山といい、この山の北西の麓に初室古墳(綜覧第7号)があったはずなのだが、村教委の話によるとどうやら削平されたらしい



上庄司原1号墳とその説明看板
以前訪れたときは、このように草ぼうぼうだったのだが・・・



今回訪れたときは、これこのとおり
前庭部もはっきり分かる



ちなみに雪の日はこんな感じ
墳丘の段になった場所には雪が積もらず、かたちがよく分かる



石室内部
輝石安山岩の自然石乱石積で、中央上に見えるのが楣石(まぐさいし)
石室全長は右壁が6.62m、左壁が6.5m
奥の玄室は奥幅が2.12m、中幅が2.22mとごくわずかに胴張り型

撮り終えて顔を上げたらすぐ横に小さなトカゲがいてびっくりしたのは内緒だw



2008年4月22日(火)19:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理

上庄司原補遺

先日書いた、上庄司原の古墳群について、疑問点があったので富士見村教委に確認しに出向いた結果、2号墳は綜覧第9号と判明した
そうなると、大正7年に発掘されていたことになる・・・その割によく遺物が残っていたものだと思う
ついでに石室も撮り直してきたが、きれいな削り石だ



その2号墳石室と、覆い屋根のかかった4号墳石室
4号墳は綜覧第11号と判明、こちらは大正14年に発掘されている
この綜覧第11号、「石槨アリシモ今ハ亡」と記載されているのだが、こうして残っている石室を見ていると、どういう状態をいうのか当時の人に話を聞きたくなる



その4号墳のかつての所在地の現況
この農地を見ていると、ここに古墳があったことすら分からない
そして右側のあたりには方形周溝墓が眠っているはずである



2008年4月22日(火)19:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理

74式細部写真

ちょいと古墳は休憩
というのも、上庄司原の古墳でちょっと確定できていないことがあるからなんだけど
そんなわけで去年撮った74式の細部写真を貼ってみる
現用戦車ではあるけれど、案外に大戦期の戦車模型の参考にもなるのがこれ
だらーんと垂れた履帯のガイド部分は、けっこうスレハゲがある



当然、起動輪の噛み合い部分もスレハゲが出る
つまり模型でやるなら起動輪はこう塗れってことだね



車体下部もこれまたスレハゲだらけ
鋼鉄の地肌がモロに出ちゃうわけだから、ちょっと錆びが心配になってきたりする



タミヤのキットではメタリックグレーに塗れと指示されている予備履帯
実際目にした感想を言えば、全然違うね
これは、セミグロスブラックで塗るべきだ
乗員たちはここに普通に足をかけたりするようで、足跡がくっきり付いているのが面白い



最近は主砲基部にこんなカバーも付くようになった
しかし、キットにはこのパーツは入っていない・・・ようするに自分で何とかしろってことである
防盾の防水カバーのシワとか車載機銃の角のスレかたとか紛失防止のヒモとか、なかなか参考になる



2008年4月21日(月)19:43 | トラックバック(0) | コメント(2) | 自衛さん | 管理

上庄司原2号墳・4号墳

富士見村横室地区にある「横室古墳公園」
ここには1基の古墳が保存されているほか、2基の古墳石室が移設保存されている
この横室地区には、上毛古墳綜覧で9基(勢多郡富士見村第6号~第14号)の古墳の存在が記録されているのだが、看板に描かれた7基は、図で見てもどれがどれにあたるのか、まったく分からない状態だ



上庄司原2号墳・4号墳石室の説明看板
対比しながら見ていくと石室の進化が分かるというナイスな構造だが、どうせなら1号墳の石室の写真も並べてほしかった
ちなみにこの公園の裏にある道はよく出かけていた道で、当時は古墳公園の存在には全く気付かなかった



2号墳石室
奥壁に巨石を使っていないところが興味深いところ
この2号墳、上毛古墳綜覧をそのまま信用するのであれば、発掘(盗掘)無、石槨現存と記されている富士見村第8号かも知れない
古墳自体は周堀が馬蹄形に巡る円墳で、石室は角閃石安山岩の削石積
墳丘の規模は15mで、テラスを含むと28m。石室全長は右壁が5.85mで左壁が5.90mだったという



4号墳石室
覆い屋根があるせいか、ちょっと離れたところから見るとまるでキャンプ場の設備のように見えるが、そう見えてしまうほど、この角閃石安山岩(一部で輝石安山岩も使用)の截石切組積が立派な造りだとも言える
上毛古墳綜覧で石槨現存と記された富士見村第13号かとも思ったが、富士見村教委が発行した調査報告書では位置が大きく違い、別の綜覧記載古墳なのかも知れない
墳丘の規模は15~16m、石室全長は右壁が5.24m、左壁が5.20m
なお、この4号墳のすぐ東から、方形周溝墓(上庄司原西遺跡)が1基発見され、下庄司原東遺跡でも4基が発見されている



2008年4月20日(日)22:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理

保渡田薬師塚古墳

高崎市旧群馬町、保渡田古墳群に属している前方後円墳
上毛古墳綜覧群馬郡上郊(かみさと)村第1号墳で、天和3(1683)年に発掘されたという
その際に馬具19、鏡1、玉類その他が出土しており、それらはこの南に建つ西光寺が所有、かみつけの里博物館に展示されている



雪の日はこんな感じになる
写っているのは前方部で、西側から見たもの
南側は西光寺が建ち、大きく改変されてしまっている



墳丘上に登り、後円部から前方部を見ると改変の具合がよく分かる
全長約100m、同じ保渡田古墳群の保渡田八幡塚古墳や井出二子山古墳と似た規模である



後円部上に展示されている舟形石棺
横から見るとまるで乳母車か何かのようだが、これは風化によるもの
素材に使われた凝灰岩は非常にもろく、風化しやすいが、その加工技術はなかなかのものがある



正面から見ると、卵のように丸みを帯びたかたちであることがよく分かる


2008年4月19日(土)21:51 | トラックバック(0) | コメント(2) | 高崎市 | 管理

宝塔山古墳

前橋市宝塔山古墳
一辺が50m以上ある大型方墳で、南側に幅約20mの周堀の跡が確認されている
名前の由来は、復原図の文面を参照・・・とはいえ、実はこの秋元家、おいらの先祖の主人でもあったりする
前橋市の古墳としては初めて訪れたことになるわけだけど、訪れた当時このことは知らなかったはず・・・



古墳の傍らにある推定復原図
この図では三段に構築されているが、手元の資料では二段構築とある・・・どっちが正しいんだ?w



石室入口
この上に総社藩主秋元家はじめ何やら古そうな墓がいくつも建っている



石室内部、羨道から玄室や石棺を見る
群馬県内の後期古墳の例に違わず、ここも角閃石安山岩の截石切組積で、なかなかに壮観な作りをしている
壁面には漆喰や壁画があったと推定されている



脚部に格座間(こうざま)をくり込んだ、精緻な作りの家型石棺
中身についてはおいらまったく関知しないのでそのつもりで・・・どうせ空だろうけどねw



2008年4月18日(金)23:20 | トラックバック(0) | コメント(2) | 前橋市 | 管理

月光一一型 前期生産型

今月初頭に完成したタミヤの月光
いろいろな角度で撮ってみたので貼る



お気に入りの構図


デカールがどうもダメだった
ソフターやセッターに対し、もろい感じ



プロポーションは悪くないのにね


このあたりの諸々の塗りにだいぶ腐心したかなぁ


2008年4月17日(木)21:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 模型 | 管理


(2/5ページ)
最初 1 >2< 3 4 5 最後