厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



Show by Jun/17/2008

天良七堂遺跡その3

こちらは南側に位置する5号掘立柱建物跡
ほかの掘立柱建物跡と違い、建て替えのあとは確認できていないが、この先は奥に見える道路にかかっており、ここを掘ってみないことには全体像が掴めないとの話だった
ちなみにブルーシートの部分は、見学用の通路である



5号付近の掘立柱部分の断面
土の色の違いで、どこまで掘ってあったのかが分かる



別の掘立柱跡
こちらには根石が残っていた



その別角度
跡の全体が暗かったため、日中シンクロでフラッシュを焚いてみた



再び1号基壇建物跡に戻ってみる
この新田郡庁跡は敷地の一辺が約90mで、この数字は国内最大規模だという
8月頃の官報告示で正式に国史跡となり、その後は建物の復元や展示を検討するとのことで、とても楽しみだ

なお、この後はここから1kmちょいと北北西に行ったところにある二ッ山古墳などを見学してから帰ったのは内緒w



May.17.2008(Sat)22:49 | Trackback(0) | Comment(0) | 太田市 | Admin

天良七堂遺跡その2

北側にある6号掘立柱建物跡(白線)と7号掘立柱建物跡(青線)
これまた、6号のあとに7号が建っており、位置と角度がずれている
7号の床面には川原石を使った石敷きがあったのだが・・・



その石敷きは建物から離れた場所でも出ている
どうやら、郡庁内全体に石敷きがあったとも見られる



6号と7号を合わせるとかなりの奥行きになり、画像でもこんな感じ


左側は民家なのだが、柵の向こう側にも柱の跡が見える
この柵の延長線上には3号基壇建物跡が確認され、また、ここ6号と、4号、5号の周辺で円面硯の破片が1点ずつの計3点
他に7世紀から8世紀にかけての土器の破片が出土している



西側の1号掘立柱建物跡(白線)と2号掘立柱建物跡
見学者の集団の向こうには2号基壇建物跡が確認されている
これらの建物は、長元3年(西暦1030年、後一条帝の時代)に書かれた「上野国交替実録帳」の記事と一致している
「東□屋壱宇 西長屋壱宇 南長屋壱宇
 □□屋壱宇 公文屋壱宇 厨壱宇」
(□は判読不能部分)



May.17.2008(Sat)22:29 | Trackback(0) | Comment(0) | 太田市 | Admin

天良七堂遺跡その1

太田市天良七堂遺跡
新聞報道によると、昨日の国の文化審議会でこの遺跡、つまり律令時代の上野国新田郡庁跡を国指定史跡とするように答申があったという
一連の画像は昨年11月に行われた現地説明会でのもので、白線が3号掘立柱建物跡、青線が4号掘立柱建物跡



何やら四角く切り取られたものも見受けられるが、これは何なのだろう?


説明と手渡された資料によれば、白線の3号のあとに青線の4号を建てているという
位置が微妙にずれている理由は分からないが、3号をどけたあとに4号を建てているのは確実だという



遺跡中央部の1号基壇建物跡
丁寧にならされ、版築状に踏み固められている



その版築は、こんな感じ


May.17.2008(Sat)22:10 | Trackback(0) | Comment(0) | 太田市 | Admin


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